お客さまは神様問題

今日の日記に使おうと思っていた写真のデータを入れたUSBメモリが見当たらない。仕方が無いのでiPhoneで撮影をした写真のなかから羅臼で食べた海鮮丼の写真をチョイスしてやった。こんな色の写真をアップするだなんて新しい。なので今日は食べ物とその周辺のことを書こうかなと。

僕ももう大人になったので、感情にまかせて行動をすることは少なくなりつつある。この海鮮丼をチョイスできたのもそのうちのひとつ。本来であればウニ丼かいくら丼を食べたいところだったけれど、そんなものを食べて痛風が発症すると大変なことになるので、その影響が最も少ないであろう海鮮丼を注文したということ。結果はアタリで、超絶に美味かった。漁師さんのお店なのか何なのかは知らないけれど、お店の奥に猛烈に広い「魚捌き場」があって、そこで捌いたものを丼ぶりに乗せて持ってきてくれる。美味く無いわけが無いというやつだ。ありがとうありがとう。
で、このお店に行く前に実は道の駅にある食堂に2~30分ほど並んで入ったのだけれど、海鮮丼を注文したら「今日はお客さんが多くて大変だから海鮮丼はやりません。」と言われた。無いわけでは無いけどやらないらしい。「入口のメニューにあった海鮮丼付近に「今日はやりません」って書いておいてくれればこんなに並ばなかったのに。」とオペレーションの不手際を感じつつも、まぁ忙しいんだろということと、特に腹が減って我慢できないわけでは無かったので、そのまま道の駅を出て前述のお店で無事に海鮮丼を食べることができたということ。めでたしめでたし。

で、ここからが今日の本題なんだけど、その日の夜、「北海道の食べ物は本当に美味しいなぁ。」なんてことを言いながら宿で夕飯を食べていたときのこと。突然「出て来ないんなら出て来ないって最初から言えよ!」的な怒鳴り声が聞こえた。それまで楽しそうにしていた周りの客(僕含む)全員シーン。ずーーーっと怒鳴ってるもんだから怒りの原因は理解できた。宿を予約をする際に頼んでおいた食べ物が出て来なかったことを怒っているらしい。お店側は「聞いてないよ。」的な受け答え。なんつーか、アレですね。ああいう時ってどっちが正しいとかどうでも良くて、とにかくうるさいなとしか思わないものなんだね。僕も怒りが一気に沸点に達するタイプの人間なので勉強になった。のはいいとして、その人はずーっと怒っていた。「沖縄から来てるんだぞ!」やら「なんならもう帰ろうか?」やら。どうして「帰ろうか?」が出てくるのかはわからなかったけれど、そう言うのであればぜひとも帰ってくれたまえ。奥さんとお子さんは少し離れたところでうなだれていた。正しい正しく無いでは無く、大切にすべきポイントは他にあるだろうに。

その日の昼間に僕らが遭遇した「海鮮丼はあるけどやりません」問題もそうだし、混雑しているにも関わらず駐車場を整理する係がいないのでちょっとアレだったこともそうだし、行列の先頭付近に辿りついて初めて名前を記入して待っていないといけないことが分かったこともそうだけど、落ち度と言えば落ち度的な部分は確かにたくさんあるとは思う。ただなんつーか、「そこまで求めるもの?」と思えたので、特に怒りは感じなかった。
いろいろと求める人は高級リゾートに行けばいい。沖縄で言えばブセナテラスあたりに行けばいい。「こんなに美味い海鮮丼なのに、わさびはチューブかい!」ってのは怒るところでは無く、そういうところに楽しさというか人間らしさというかその土地らしさというか、ほんわりしたものを感じるものなんじゃないのかなと。

でっかいどう

この大型連休を利用して北海道に行ってきた。ざっくり言うと、女満別空港から知床半島へ入り、羅臼、野付半島、摩周湖、屈斜路湖、阿寒湖(太郎湖・次郎湖)、オンネトー、錦沼、釧路湿原(シラルトロ沼)、イオン釧路店をパトロールして、釧路空港から帰ってきた。4日間の旅。

この旅において学習したことを書くとだな、鹿とキツネはどこにでもいるんだなということ。森を歩くときには定期的に手を叩くこと。これは人間と熊とのお互いのためにね。そしてやけに獣臭がするなぁと思ったら本当に獣がいるから注意しようねということ。羅臼の海鮮丼は美味しかった。
反省したことは、観光地に行くときには知らない人から「写真撮っていただけますか?」と言われることを予め想定しておかないといけないということ。突発的な出来事に弱いので、渡されたカメラをそのまま妻にパスすること1回、「撮ってあげて。」と妻に託すこと2回。なんかこう、感じの悪い人だと思われたことだろう。まぁそれは否定しないんだけど、心の準備が必要なんだよね。

大型連休を使って旅行に行くだなんて、わざわざ人混みの中に入って行くようなものだから、愚の骨頂とまでは言わないけれど、近からず遠からずなものだと思っていた。でも昨年の夏に舌癌になったことで、思い出を作ることの大切さを理解した。あの世にもっていけるものは頭と身体に宿る記憶だけだから、その記憶をさ、今後も積み重ねて行ければと思っている次第。北海道にはまた行きたいな。

最高の聖地と神の島

20160720

久しぶりに沖縄を訪れた。記憶が正しければ12年ぶりだと思う。沖縄へは過去に何度も足を運んでいるけれど(詳しくは2016/7/12の日記を参照のこと)、夏の暑い時期に訪れたのは初めてのことだった。とにかく暑くて汗が出て、このままでは痩せてしまってモテてしまうと思えたのでそこだけが心配だった。
沖縄へ着くとまずは南部に足を運ぶようにしている。そもそものところ沖縄という島全体が聖域だと感じているのだが、そのなかでも南部はその最たるものであり、また戦争で犠牲になった方々が多く眠る場所でもあるので、まずはその地へ足を運び、感謝と祈りをささげてから旅を始めることを習慣としている。
全く頭に入っていなかったのだが、2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が世界遺産に登録されたらしい。そのことと関係があるのか否かはわからないが、いつの間にか斎場御嶽は観光地になっていた。2000年前後だったと思うが、それまで更地だった駐車場が舗装された。その頃から若干の怪しさを感じていたのだが、まるで道の駅のような施設が建設され、そこから御嶽へと至る道路が整備拡張され、その周りには「らしさ」を感じさせないような売店が並んでいた。斎場御嶽ではたまに祈りをささげているおばあさんと遭遇することがあったが、あのおばあさんは今でもここで祈りをささげているのだろうかということと、やはり観光地化を進めることで微妙な場所となってしまった忍野八海を頭の中に思い浮かべてしまった。琉球王国最高の聖地である斎場御嶽は、まるで忍野八海のようだった。観光地化することで収益が増えて雇用も増大するので地元にとってメリットがあるであろうことは否めない。よって観光地化=悪いこととは思わないが、斎場御嶽の、そして琉球王国のいちファンとしては残念な気持ちになった。
斎場御嶽を後にしてからはいつものようにフェリーで久高島に渡ったが、久高島は久高島のままだった。久高島をご存知無い方はぜひ検索をしてみていただければと思うが、この「何も無い島」からはたくさんのものを得ることができる。大切なものを思い出させてくれる場所のような気がしている。勝手なことを申し上げて恐縮だが、この島はいつまでもこのままであって欲しいと思う。

自分は富豪になることにそれほど興味をもっていないが、もし自分が富豪であればこのような場所の保全にお金を使いたいと思えた。富豪なり政治家なり「力」を持つことは環境を守ることにもつながるのだなと。そのような明確な目的があるのであれば、お金を稼ぐことにもっと力を注いでも良いのかもしれない。

話がズレたので今日はこのあたりで。