この時代

20130507

自営業は一戸建て、サラリーマンは集合住宅、そんなことが頭に浮かびました。これは「金銭的に」ということではなく、ある程度の自由が利き全ては自己責任となる自営業者(含経営者)と、誰かのもとで誰かの決定のもと案件を遂行し、自由は利かないものの会社に守られているサラリーマンの特長が、なんとなく、一戸建てと集合住宅とのイメージと合致したということです。
ただまぁ、最近はサラリーマンでも退職金が出るか否か怪しいという話も聞きますし、いつ仕事を失うかも分からないとも聞きますし、以前と比べればその恩恵も少なくなってきているのかもしれないですね。街を歩くとどんどん店舗が閉店に追いやられているのを目にしますし、自営業者は自営業者で大変だよなぁとも思います。どっちがいいかなんて、僕には分かりません。

ただこの時代、「発信すること」が大切なように思うのです。自分はどんな人間で、どんなことができて、どんなことを考えているのか等々を何らかの形で世間様に開示することが、この世の中を生き抜いていくための術なんじゃないかなぁ、なんてことを思います。たとえば、モノ作りをしている人、歌手、デザイナーなんてのは、大きくくくると「発信側」の人間と思います。それに対して消費者、聴衆なんてのは「受信側」の人間ですよね。今までは受信側の人間が圧倒的多数だったと思うのですが、今後は受信側だった方々も発信側的思考を持つようにした方がいいんじゃなかろうかと思います。動かなければ何も起きない。外に出なければ人に会えない。あなたが誰なのかが分からなければ何も頼めない。だから「自分はこんなことができる」「自分はこう思う、感じる」。何でも、どんな形でもいいと思います。とにかく「あなた」を外に出すこと。これが大切なんじゃなかろうかと思う、ゴールデンウィーク明けの僕です。

一戸建てでもマンションでもいいと思うのですが、どちらにせよ、自分らしい家がいいかな。

自分らしさ

20130501

昨日、友人とともに写真に関するお話をしていた際に出てきたキーワード「自分らしさ」。みんな自分の作品に自分らしさを出すことについて悩んでいるらしいです。

自分らしさって、言い換えると「個性」ってことになるのかな?なんつーか、こんなことを言ってしまうと本も子も無くなってしまうのだけれど、あんまり考えないでいいんじゃないかと思うのです。自由に撮っていればいいんじゃないかと思うなぁ、おじさん。もちろん誰かに評価されれば嬉しいけどさ、そんなことを考えていたら余計に縮こまっちゃうと言うか、自分らしさって出にくくなっちゃうんじゃないかなぁと思うのです。
写真を撮り始めの頃は、意図的なのかそうで無いのかは別として、自分の好みの作品を模倣することからはじまるように思うのです。色、構図、被写体もろもろね。そうやってどんどん写真を撮っていくうちに、少しずつ、模倣からオリジナルへと変わっていくものではなかろうかと。要は「質を求めるために量をこなす」というステップが必要なんだろうなぁと思います。なので自分らしい作品って、数打ってりゃそのうち出くわすものなんじゃないのかなぁ、なんて。

と言う僕もまだまだ数を打てていないので作風なんてバラバラです。それがダメなのかと問われれば、僕の場合はまぁそれでもいいんじゃねぇかなぁ、なんて思います。いいんだよ、テキトーなんだから。心地よければいいの。そんな僕の作品に対してどこかの誰かが満足してくれるようなことがあったとすれば、もうそれでオールオッケーじゃないですか。オッサンの自己満足に誰かがのっかってくれるだなんて素敵ですよね。もうね、土下座して感謝しますよ。それ以上の欲求なんて、どこを見渡しても見つからないんだぜ。

僕と写真

20130430
こう見えて、と言うかどう見えているのかは定かではありませんが、僕は何でも難しく考えてしまうタチです。そんな僕にとって、写真を撮るということは自分の内面と向き合うことであって、ゆえに修行とも言えるわけです。僕の撮る写真にはその時点の僕しか写らない、そう思います。

テクニックとして、非日常的な画角であったり被写体の前後をボカしたりという手法を用いれば人目を引きやすいということは分かります。でもなんだろう、そういうことじゃ無いんです。もっと内面だと思えるのです。

もっと楽にシャッターを切ることができるようになったとき、少しは僕も成長できたってことになるのかな。