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おまじないカード

今から10年ほど前、本業をしながらも空いた時間でスピリチュアルな生業をさせていただいていた頃、「五芒星のおまじないカード」なるものを開発し、ご希望の方に安価でお譲りしていた。もともとはその道の師から五芒星を利用したほにゃららを教えていただいたことから生まれたアイデアなんだけど、そもそも物質には念を入れることができるわけで、であれば念を入れた物質を五芒星で閉じてあげれば、各人の目的に応じたお守りができるんじゃなかろうかと。ってことを閃いたので、モニターを30人募集し、それぞれの目的に応じたおまじないカードを作り、お譲りした。1か月後にその目的は達成したか否かをご回答いただいたわけだけど、6割の方から事は良い方向へ進んだとの回答を得ることができた。当時は「6割?少ねぇな。」と思ったけれど、その後勉強を重ねることにより、所謂霊的現象によって得られたものの正解率は高くとも6割であるとの説を知り、「ってことは、あのカードは優秀だったってことかもしれないな。」と思うに至った。いまここ。
今は本業が忙しくなったから霊的な生業はお休みをさせていただいているけれど、おまじないカードの制作であれば空いた時間にできるので、復活させることもできなくは無いかなーと思っている。ま、全てはもろもろの環境を整えてからだけども。

波打ち際とヒーリング

波打ち際は、魂が行きかう場所だと思っている。
今から3~4年ほど前に、エプサイトさんで波打ち際で撮影をした写真をつかった作品を展示させていただいたことがあった。作品について質問をいただくことがあって、その際に前述のような説明をさせていただくと、なかには怒りだす人もいた。なぜ怒りだすのかと言えば、魂やらあの世やらそのあたりの話はどちらかと言えば「陰」であり、死を連想させるからかもしれない。僕は子供の頃から未知のものに触れる機会があったので、体験はもちろんのこと、本屋さんに行って自分で調べたり、「この人は」と思える方にご教授いただく機会にも恵まれた。それにより自分なりの死生観が確立されているので、死は怖いものだとは思わないし、あの世や魂も特別なものだったり未知のものとも思っていない。そもそものところ、なぜ人は海岸に集まるのか、山に登るのか、そのあたりのことを多角的に考察してみるといろいろと見えてくるものがあるんじゃないの?と思っている。

そういえば、舌癌での入院中、口内に溢れる粘液が突然止まったというようなことをいつかの日記に書いた。実はあれは自然に止まったのでは無くて、自分で止めた。粘液への対応が辛かったので、自分で自分に5分ほどヒーリングをしたら粘液が出なくなった。その後のことはその日の日記に書いた通り。

波打ち際のこともヒーリングのことも、僕にとっての真実なだけであって、それを皆に信じてもらいたいとか、仲間を増やしたいとか、誰かとこの経験を共有したいなんてことは思っていない。僕の身に起きたことを事実として捉えているだけであって、それ以上でも以下でも無い。

周り

先日、妻と共に新宿の地下街を歩いていた際、妻から「速い」と言われてハッとした。妻のペースに合わせてゆっくり歩いていたつもりだったから。新宿を行きかう人の流れはとても早くて、その波に合わせるように歩かねば世間様の邪魔になりかねない。そのことが頭の中にありつつも、歩みがゆっくりな妻に合わせて僕もゆっくり歩いていたつもりだった。
ペースを落として歩きながらハッとしたのは、もしかするとこれって「感応」なのかなということ。感応ってのは簡単に言うと憑依の軽い版のことで、知らず知らずのうちに外的要素からの影響を受けてしまうこと。ここで言う外的要素ってのは霊のことなので、新宿を早歩きしてしまったことを感応と言ってしまうのは違うかもしれないけれど、感覚的には同じなのかなと。無意識に近い状態で周りに合わせてしまったと。ここは僕の性格的なものもあって、普段から意識しているわけでは無いけれど、心の奥底では周りに迷惑をかけぬように気を付けながら生きている。歩く際には道の端を歩くし、電車のなかで席に座る際には姿勢を正し、足を引き、脚を閉じ、肘をなるべく内側に入れる。荷物は当然膝の上だ。ダウンコートを買おうにも、ダウンがたくさん入ったモコモコしたものでは無く、なるべく細身でかさばらないものを選ぶ。特に意識せずにそんなことをしているので、道を歩けば周りの流れに合わせようとするのは当然のこと。このことは社会においては大事なことだと思うので悪いことだとは思わないけれど、なんつーか、「度」ってものがあるのかなと思えて。日頃の言動から周りからは自己中心的な人間だと思われているかもしれないけれど、そのあたりは計算によるものが多い。自分で言うのもなんだけど、実はけっこう気を遣う性格でね。そのあたりをね、もっと開放すべきかなと思えた。「あなたは幼少期に壁を作った」と言われたことがあって、それを言われたときは何のことやらと思っていたけれど、ああ、もしかするとこのことを言われていたのかなとも思え。本当に壁を作ったかどうかは知らないけれど、作ったのであれば、齢46にして壊してもみるのも面白いかなと。

たとえば楽しいことをしたいなと思ったとき、周りの方々が楽しがっていることをやってみるのも悪くは無いけれど、自分が楽しいと思えることをやらないと、本当に楽しくは無いと思う。当たり前のことだろうけど、要は自分だからな。そのあたりのことで言えば、周りなんて見てないでいいんだと思う。自分を生きるのに、気なんて遣わなくてもいいもんな。

舌癌手術後の経過など

弊社は今日が仕事始め。なので今日から日記も再開する。

昨年末の12/18(火)に入院をし、12/27(木)に無理矢理退院してそのまま出社し、12/28(金)から1/6(日)まで年末年始休暇だった。12/27(木)に退院しなければ20連休になるところだったけど、出社できたので9連休と10連休に分断することができた。だから何だということでも無いけれど、そういう事実がありましたよということのみ書いておく。まぁ、9連休と10連休とはいえ実質的には術後の静養期間だったので、休みというものとも違うけれど。
術後の経過について書いておくと、前回(ステージ2)と比べて食べれるし喋れる。縫合した箇所が突っ張るので舌はまだまだ動かしづらいけども。食べるにも、縫合していない方の口に小さくした食べ物を入れて食べているので、遅いしあまり美味しく無い。食べ物って、口のなか全体を使って食べるから美味しく感じるみたい。口のなかを片方しか使わないと、美味しさって半減どころか1/5くらいになっていると思える。ただ量に関しては前回とは比較にならないほど多く食べることができているので、4kg減った体重が戻るのも時間の問題だと思う。あとはしばらく微熱が続いていたように思うけど(計って無い)、ここ2日くらいでようやく元に戻ったような気がする。

そういえば、今回も部屋は差額の料金を支払って個室を利用した。ただ、気になったのはその部屋の空気。もわんとしているというか、なんだか微妙に重みがあるように感じた。なので入院後すぐにでも綺麗にしたかったけれど、初日は先生方がどんどん部屋に入ってくるし、2日目は朝から手術だしでなかなかその機会に恵まれなかった。3日目だか4日目だかにようやく除霊をすることができたものの、なにせ舌を切ってるもんだからうまく真言を唱えられなくてね。これじゃ効かねぇんじゃないかとか、いやいやこういうものは思いが大切なんだから口が動かなくても大丈夫だとか思いつつ、結局は2度除霊をすることで綺麗になったんじゃないかなと。3日目だか4日目だかに1回と、6日目だか7日目だかに1回の計2回。入院生活の後半はもう自分の部屋みたいだったもんな。

胎児の神秘

かれこれ7~8年ほど前、まだ僕がスピリチュアル関連の仕事を生業としていた頃、妊婦さんにヒーリングをさせていただく機会に恵まれた。胎児のいるお腹まわりのエネルギーが凄まじかったことを覚えている。こういったものは感覚的なものなので何とも表現が難しいけれど、熱いというか暖かいというか、密度が高いというか清らかというか、そんなものがドーム状にお腹を覆っているようだった。普段は身体から10cmほど離れたところに手のひらを置いて微妙なエネルギーの違いを感知していたけれど、そのときはお腹から1mほど手のひらを離してもそれを感じることができた。つまりは強いのよ、エネルギーが。ヒーリングをしているこちらが癒されるような感覚だった。
ということを今朝の電車のなかで思い出したんだけど、あのときのアレはもしかするとシルバーコードだったのかもしれないなと唐突に思えた。「アレ」ってのは僕が妊婦さんのお腹から1mほど手のひらを離しても感じられていたアレのこと。あのときはドーム状だと思っていたけれど、実は紐状のものだったのかもしれないなとね、根拠も無く思えた。本来シルバーコードとは身体と霊体とを結ぶ紐状の物質のことを指すけれど、もしかすると胎児の場合は自らの身体と霊体とがシルバーコードで結ばれているのでは無く、身体はへその緒を介してお母さんの身体と、霊体はシルバーコードを介してアチラの世界と結ばれているのかもしれないなと思えてね。言い変えると、もしかすると胎児ってのはこの世とあの世とが混ざり合った状態なのかなと。
この仮説が正しいか否かは知らんけど、なんつーか、生命の誕生についてはもっと勉強してみたいと思えてきた。死後の世界の話はよく聞くけれど、誕生についてはあまり聞いたことが無いからな。