ゾーンと霊能力

子供のころにUFOや幽霊を見たからだと思うけど、いわゆる「オカルト」と呼ばれるものごとには興味があるし、ここ何十年かの間に「スピリチュアル」と呼ばれるようになったような分野については片足を突っ込んでいる。ただこれは僕が持つもともとの性格によるものだろうけど、そういった「目に見えない世界」ってのはあるにはあるんだろうけどいまいち確信が持てないところもあり、自分が足を突っ込んでいるくせしてそういう話ばかりしている人は敬遠してしまうところがある。「何言ってんのこの人。」みたいな。だから自分の身に起きることに対してもどこか眉唾的な見方をする部分もあるんだけど、でも実際に起きているわけだしね、その眉唾的な部分を少しでも少なくできるのであればそうしたいと思っていた。「オカルト」やら「スピリチュアル」と呼ばれるものを科学的に証明できないものかなと。
自分個人でもできることって何だろうかと考えて、まず思いついたのが脳波を測定することだった。たとえば自分が霊視してるときだとか指の先からビームを出しているときの脳波を測定すれば何かが見えてくるんじゃなかろうかと思えてな。ってことで10年くらい前に大枚はたいて脳波測定器を買って実験してみたんだけど、当初の目論見通り、そういうときってシータ波が検出されやすいことが分かった。シータ波ってのは眠りに落ちる瞬間に出やすい脳波でね、よく耳にするアルファ波よりも深いっつーか緩いっつーかそういう波長なの。そこで僕が思ったのは「霊能者ってのは日ごろからシータ波が出てるんだろうな」ってこと。一般的には人間たるもの活動中にはベータ波が出やすいの。アルファ波は集中してるときとかリラックスしているときに出やすくて、シータ波は寝る直前だからさ、活動中にシータ波が出るってことはなかなか難しいんだと思う。でもそれができてるというか生まれつきというか、とにかくは起きてるときにもシータ波が出てるのが霊能者なんだろうなと。だから逆に言えば、起きてるときからシータ波を出す訓練をすれば霊能者と同じことができるんじゃなかろうかとも思えてくるよね。なんだかめんどくさくなってきたからサッと行くけれど、それは近からず遠からずだと思っている。
プロスポーツ選手が「ゾーンに入る」って言うじゃない。あれも僕は勝手にシータ波に近い脳波が出ている状態なんじゃなかろうかと思っている。活発に運動している最中に脳波がシータになるってこと。野球選手なんか「ボールが止まって見えた」とか言うじゃない。実は僕も過去に何度かゾーンと呼ばれるであろう状態を経験したことがあるんだけど、そのうち小学生のときに経験したのはさ、やっぱり野球の試合中にバッターボックスに入ってるときのことで、周りの声は全く聞こえないの。視野もめちゃくちゃ狭くなってるの。ピッチャーの腕から先とボールしか見えなくて、それがとてもスローモーションで動くんだよね。だからホームラン打ったよ。たぶん「超集中状態」だったんだと思う。
なんでゾーンの話を持ち出したのかというと、霊能者も運動選手も変わんねぇよということが言いたかったから。確かに霊能者は生まれつき脳波がアレな可能性はあるんだけど、脳波って訓練によっていくらか自由に操れるものだと思うんだよね。瞑想とかそうだろうし。だから何も特別なものでもないし、オカルトと呼ばれるものでもないのだよ。そう、オカルトやらスピリチュアルってのはフツーのことなんだよ。あれ?何が言いたかったんだっけ。途中でスーパー行ったりしてたからわかんなくなっちゃったよ。また思い出したら書くってことで、今日はもうこれでいいや。

僕は大丈夫

さて、今日は午後から日帰り手術。舌の粘液嚢胞を切ってくる。粘液嚢胞を切るのは今日で3回目で、今日の手術で予定していたものは全て終了となる。ただ粘液嚢胞ってのは再発…というと大げさに聞こえるかもしれないから言い変えると、また膨らんじゃうこともあるものなので、これでまた膨らむことがあればそれはまたその時に対応を考えることになる。切るのか放置なのか。まぁ何はともあれ、今日の手術と抜糸までの1週間痛みに耐えればもうおしまい。いいこと。進んでる。

まだ12月も頭だけど意識が今年の振り返りを始めているのでいま頭の中にあることをそのまま書くとだな、僕は恵まれてるなぁと思える。いろんなことに感謝だなと。人間にも事象にも、いろんなことに感謝だよ。確かに今年は舌癌が首のリンパに転移をしてステージが3になり手術もしたけれど、なんか、いい1年だったと思える。粘液嚢胞の手術も重ねているけれど、なんつーか、そんなの些細なことなのよ。大きいのは子供が生まれたこと。男でも女でもどちらでもよくて、とにかく母子ともに元気に生まれてくれればそれで恩の字だと思っていたけれど、現状、母子ともに毎日元気に過ごしてくれている。それだけで感謝だよ。妻と子供と毎日一緒に過ごしているけれど、いまだ僕に子供ができたことが信じられない。それくらい、なんか凄いことなんだろうね、僕のなかでは。2人が3人になるんだからすげぇよな、人間って。分裂だよ分裂。増えたよ。
なんて言うのかな、今年だけではなくてさ、これまでの47年間を振り返ってみても僕はとても恵まれているなと思える。ってこんなこと書くともう死ぬみたいだけど、そういうことじゃ無いから。元気だから。前にも何度か書いてるけど、20代の後半くらいから「僕は大丈夫」と思えるようになったんだよね。いわれの無い自信みたいなものなんだけど、厳密に言えば自信では無くて、なんかこう、自分のなかで言うところの感覚的なものに従ってというか、それを見落とさないように生きていれば大丈夫だと思えるようになったの。で、実際に大丈夫だから。こんなに物事を考えずに生きていて大丈夫なのか?とも思えるんだけど、大丈夫なのよこれがまた。だからどちらかといえば自分では無くて自分のなかにその感覚を降ろしてくれているものがすごいんだなというか、その存在への感謝の念というか、そんなものを常に心の中に置いたまま生活しているから大丈夫なんだと心の底から思っている。僕という人間はひとりだけど、たぶん僕ひとりで生きてるんじゃ無いんだと思うんだよね。僕という存在は何人かのチームなんだと思える。主役は僕で、それ以外の「僕」が他にも何人かいるの。それがひとくくりになって僕を形成していると。具体的な提示はできないけど、なんかこう、そんな感覚なのよ。「安西祐輔、オールキャストでお送りします。」みたいな。僕はひとりなんだけどひとりじゃ無いんだなと。だからその全てに感謝しないとなと。

なんか最後に頭のおかしなことを書いたけど、こうやって心の声に従ってこれからも生きていくんだと思う。それでもう20年以上うまく行ってるからさ。そんな心の声は「もう今日の日記はこれでおしまいでいいぞ」と言っているのでこれでおしまいにするね。アディオス、みなさまよい週末を。皆さまに幸ありますことを。

頭の上

久々に「おかしな話」を。

我が子の笑顔は何ものにも代えがたいもので、それを見るだけでこちらも幸せな気持ちになるし、いつまでも守り続けたいとも思う。
で、その笑顔、もちろん僕の顔を見ながら笑ってくれることもあるんだけど、なかなかな頻度で僕の頭の上を見て笑顔になるのよね。顔では無くて、完全に顔の上を見て笑う。僕以外の誰かが我が子に笑いかけたり話しかけてくれているのかもしれないね。で、そんなとき、僕は自分のオーラを大きくして(いるつもり)サービスしてあげる。心の中で「愛してるよ」なんてことを思って、色も変えてあげている(つもり)。せっかくなら動きがあった方がより楽しいだろうなと思ってな。つい数か月前までは高級霊だったんだろうからそれくらいのものは普通に見えているだろうし。なんならアチラの世界に意識を向けているところを見せてみようかな。どんな反応するんだろ。子供にとっては案外当たり前すぎて無反応だったりして。