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なぜ霊能者によって意見が違うのか

タイトルの件、僕も常々思っていたことなんだけど、現時点で「これでしょ」と思えるものをまとめてみようかと。複数の角度から考えるべきことなので分かりやすくまとめられるかは分からんけれど、自分の頭のなかを整理する意味でも、とにかくやってみようかと。

複数の霊能者が集まって、同時に同じものを霊視した場合、意見がバラバラになることがある。同時にオーラを見ても「金」だという人もいれば「青」だという人もいる。ある場所を霊視しても「笑顔の女の子がいる」という人もいれば「血だらけの女の子がいる」という人もいる。この状況をテレビで放送すれば、それを見ている視聴者が「霊能者ってインチキなのかな」と思うのも理解できる。霊能力を持たない(という言い方も間違いなんだけど)一般の視聴者からすれば霊能力を持っている人間は何でも見えるんだろうから、誰が見ても同じように見えないとおかしいと思えるんだろうなと。僕も初めはそうだった。意見が一致しないのは、そのなかにインチキが紛れてるからだろうなと。でも自分で霊界通信を受信するようになってからは、その大変さが分かったというか、こりゃ仕方無いと思えるようになった部分もある。
僕は霊界通信の受信に関しては自己流でやってきた。誰に教わったでもなく、経験を積み重ねることでやってきた。説明をすると、クライアントさんの顔の周囲を見ていると、僕の額から前頭葉の辺りというか、目と鼻の間というか、そのあたりから何らかの情報が入ってくる。単語で入ってきたり、映像で入ってきたりする。それら入ってきたものを僕のなかで解釈をして、日本語に翻訳してクライアントさんに伝える。ざっというとこんな感じ。なので複数の霊能者で意見が異なってしまうのは、その「翻訳」の際に間違えてしまうというか、間違えてはいないけど、使う日本語を間違えてしまうというか分かりにくく言ってしまうというか、そのあたりに原因があるのかなと思っていた。たとえば自分のことを言う場合、「僕」でもいいし「オレ」でもいいし「わし」でも「おいら」でも「ミー」でも何でもいいんだけど、印象って違うでしょ。そのあたりの少々のズレが積み重なることにより、最終的には大きくなってしまうのかなと。それともうひとつ、霊界通信の相手にもよるのかなとも思っていた。霊界通信の相手は所謂「霊魂」であり、言い方を変えると「僕らより先に死んだ人」なわけ。そのお相手は高級霊であることが望ましいけれど、そうでは無い場合、結局のところは「元人間」なので、間違えることもあるのかなと。肉体を失った霊魂は嘘はつかないというけれど、間違えることはあるみたいだし。
というね、そのふたつのことが原因で、霊能者同士の意見が違ってくるのかなと思っていた。でもね、1年ちょい前あたりからはじめた英国スピリチュアル協会周りやら密教周りやらの勉強を進めていくうちに、その原因は他にもあることが見えてきた。それはね、霊能者自身。その時点で霊能者が持ち合わせているものによって、見え方やら感じ方やらが違ってくるのかもしれないなと思えた。霊能者が持ち合わせているものって何かと言うと、霊能力関連のことがらだけでは無く、それまでに経験した全てのこと。考え方もそうだし、嗜好もそうだし、とにかくその霊能者が持ち合わせている全てのものごとによって、そのあたりに違いが出てくるんだなと。例を挙げると、もう10年以上前の話だけど、皆で一緒にオーラを見る機会があった。そのときに僕に見えたのはバイオレットのオーラだった。水色が見えると言っている人もいたけれど、僕にはバイオレットのオーラしか見えなかった。クライアントさんのオーラでよく見えるのは金とバイオレット。たまに緑も見えるかな。それ以外の色はその時点の僕には見えなかった。でもオーラには金とバイオレットと緑しか無いわけじゃなく、その他の色ももちろん存在する。ではなぜ僕にはそれしか見えなかったのかと言えば、おそらくは僕のなかにその3色しかストックされていなかったから。だから僕が持ち合わせている金とバイオレットと緑しか見えなかったんだろうなと。

霊能力を発揮している状況とは、言うなれば霊魂と人間(霊能者)とが共同作業をおこなっている場とも言えると思う。霊魂側から送られてきたものを人間というフィルターを通してクライアントさんに示すことになるけれど、どんな霊魂がどんなフィルターを通すのかによって、そこからアウトプットされる情報には差が出てしまう。目の細かいフィルターなのか荒いものなのか、透明なのか色が付いたものなのか。とても根本的な部分だけど、結局はそこなんだろうなと、現時点の僕は思う。霊能者と言えど人間だから。肉体をまとった人間なので、それまでの生き方がそこ(肉体+霊魂)からのアウトプットに交じってしまうんだろうなと。「良い・悪い」では無く。なので霊能者から出てくるものはそれぞれだろうし、霊能者の言うことは「絶対」では無く参考意見程度にすべきと思うし、複数の霊能者を比較するというのもアリだと思う。自分と意見が合致する霊能者に出会えるまで探し続けるべしということでは無く、複数の霊能者の言うことを客観的にとらえ、採用すべきものは採用すればいいし、イマイチだと思うものは却下すればいい。そのあたりの判断は、ご自分の胸に聞いてみるしか無いだろうな。

ヤベー場所

昨日、たまたまお会いした方に連れて行っていただいた場所がとても凄かった。平たく言えばカフェなんだけど、出てくるものは全て美味しくて、窓の外を見れば見たことも無いような綺麗な色をした野生のインコがいて、店員さんには愛があった。って、これだけだとさほど凄くも無いと思えるでしょう。そりゃそうで、なぜなら僕がかなり控えめに書いているから。外には人一人が入れる礼拝堂があって、自由に入れるもんで、せっかくだから僕も入ってみた。これもなんとなくあんまり良くないかなと思えるので細かくは書かないけれど、そこで礼拝することで、おでこのあたりから頭頂部にかけての感覚が明らかに変わった。おそらくは良いことだろうけど、このあたりはちょっと様子見かなと思っている。家に帰ってからネットで検索してみたら、あー、なるほどなーと思える話が散見された。

若かりしころは『ムー』と『Newton』を並行して読んでいたといえば分かる方にはご理解いただけるかと思うけれど、僕は霊界通信をやりつつも、目に見えぬ物事を鵜呑みにはせずに科学的に解明したいと思っている人間。霊界通信って危険と隣り合わせだから。なので今回たまたまお連れいただいたカフェとその周辺についても、感覚としては「(良い意味で)こりゃヤベー場所だな」とは思いつつも、その真偽(エネルギーの出どころ)についてはもう少し時間をかけて判断すべきと思っている。なのでこれからも定期的に通ってみようかなと。もしかするともしかする場所なのかもしれないなと。

昨日の日記の続き(憑依の本質)

昨日の日記、やはり簡単にでも続きを書いた方がいいかもしれないと思えたので書くことにする。慣れ親しんでいない分野のことについてあれこれ書かれても理解が難しいだろうと思えるので、誰にとっても身近であろうことを例として挙げて書いてみる。オレ優しい。

誰かに誘われるとする。ご飯でも旅行でも何でもいいんだけど、誰かに誘われた際にすぐに快諾はしたものの、後になって後悔するタイプの人。普通に考えると「流されやすい人」なんて言い方になるんだろうか。そんな人を霊的な角度から見ると、憑依体質、もしくはその素質があるのかもしれないなと思える。人混みでイライラする人。単に混雑に対してイライラしている可能性が大だろうとは思うものの、これもやはり霊的な影響が無いとは言い切れない。
どういうことかと言うと、まず「憑依体質って何やねん」ってところから説明するけども、「憑依」と聞くと何か悪いものが自分の身体に入ってきて支配されてしまうようなそんなイメージを持つ人が多いだろうと思う。それも間違いでは無いんだけど、憑依にも種類があってさ、前述の「悪いものが入ってくる」「乗っ取られる」みたいなケースも確かにあるものの、実はそれはごく稀なことでね、憑依の大多数は「感応」と呼ばれるもっと簡単な現象なの。感応ってのはその字面を見れば想像できると思うけど、周囲のものに反応して感化されてしまうこと。一つ目に挙げた例で言うと、誘ってきた相手の持つワクワクだとか期待のようなエネルギーに感応して、自分も似たような心境になってしまうこと。「行く行く!」って。これ感応。二つ目の場合は、大量の人間が集うことによって増幅された「感情」というエネルギーにやられてしまうこと。これも感応。
あまりよろしくない感応の例をふたつ挙げたけど、良い方向の感応ももちろんあって、たとえば皆が同じ方向に向かってプラスのエネルギーを発するような場での感応がそれにあたる。たとえばライブ会場とか。スポーツが強いチームもそうだろうし、会社もそうだと思う。上へ上へと向かうエネルギーを持つ群衆のなかに身を置くと、自分もそれに感化されてプラスのエネルギーを持つことができる。夫婦が似てくるなんてのもそうかもしれないし、霊能力の強い人と一緒にいると自分も霊能力がアップするなんてのも同じだろうな。

憑依体質の人の身にはこういったことが頻繁に起きるから、けっこう大変だと思う。僕もそうなんだけど、言ってみれば、もはや本当の自分が分からなくなっているのかもしれないなとも思える。日頃「自分」だと思ってる感情が、実は周りから影響を受けて何色かに染まってしまったものなのかもしれないなと。僕の場合、朝起きた瞬間に胸に浮かぶ感情が自分の素直な気持ちだってことに高校生あたりのころに気づいて、それからはその「朝イチの感情」を大切にするようにしてるんだけど、要はそういうことよ。日中行動しているときの自分は本当の自分でもあるんだけど、実はちょっと違っているというね。「なんでこんなこと言っちゃったんだろう」みたいなことってあるでしょ。それよ。たぶんそれ感応なのよ。
では憑依体質の人はどうすりゃいいのかってこと、自分を取り戻すにはどうすりゃいいのかって話だけど、それが昨日の日記に書いたことなんだよね。上がっている意識を下におろしてあげればいい。下におろすことで本当の自分の感情にたどり着きやすくなる。昨日書いた「おなかに手をあてる」とか「マラソン」とか「音楽を聴く」もそうだけど、瞑想とか座禅もそうだよね。あれも意識を下におろすための方法。なので日ごろからそんなことをして意識を下におろす訓練をすればいいと思うんだけど、瞑想とか座禅についてはね、慣れていない人がそれをやると逆に憑依される可能性があるからさ、ひとりでやるのはお勧めしない。有識者のもとやってほしい。なので慣れないうちは目を開けたままできること、つまりはマラソンとか音楽なんかがいいんじゃないかなと。目を閉じちゃうとね、ちょっと危険を伴うことがあるのよ、この世界は。

長くなったから今日のところはこのあたりにするけれど、これでも全体の何分の一だろう、とにかくまだまだ説明が足りない。今日書いたことは脳波と霊能力との関係に関わる話でもあるから、本当なら脳波についても説明しないとイカン。僕ね、脳波測定器を買ってその実験をしたことがあるのよ。霊能力ってのは特別なものでは無く、誰もが当たり前に持っているものであるってことを証明したくて。誰もが当たり前に持ってるんだから、それを自らの意思で調整できたとしたら便利でしょ?そのこともさ、また気が向いたら、もしくは必要だと思ったら書くことにする。今日はこれでおしまい。

おまじないカード

今から10年ほど前、本業をしながらも空いた時間でスピリチュアルな生業をさせていただいていた頃、「五芒星のおまじないカード」なるものを開発し、ご希望の方に安価でお譲りしていた。もともとはその道の師から五芒星を利用したほにゃららを教えていただいたことから生まれたアイデアなんだけど、そもそも物質には念を入れることができるわけで、であれば念を入れた物質を五芒星で閉じてあげれば、各人の目的に応じたお守りができるんじゃなかろうかと。ってことを閃いたので、モニターを30人募集し、それぞれの目的に応じたおまじないカードを作り、お譲りした。1か月後にその目的は達成したか否かをご回答いただいたわけだけど、6割の方から事は良い方向へ進んだとの回答を得ることができた。当時は「6割?少ねぇな。」と思ったけれど、その後勉強を重ねることにより、所謂霊的現象によって得られたものの正解率は高くとも6割であるとの説を知り、「ってことは、あのカードは優秀だったってことかもしれないな。」と思うに至った。いまここ。
今は本業が忙しくなったから霊的な生業はお休みをさせていただいているけれど、おまじないカードの制作であれば空いた時間にできるので、復活させることもできなくは無いかなーと思っている。ま、全てはもろもろの環境を整えてからだけども。

波打ち際とヒーリング

波打ち際は、魂が行きかう場所だと思っている。
今から3~4年ほど前に、エプサイトさんで波打ち際で撮影をした写真をつかった作品を展示させていただいたことがあった。作品について質問をいただくことがあって、その際に前述のような説明をさせていただくと、なかには怒りだす人もいた。なぜ怒りだすのかと言えば、魂やらあの世やらそのあたりの話はどちらかと言えば「陰」であり、死を連想させるからかもしれない。僕は子供の頃から未知のものに触れる機会があったので、体験はもちろんのこと、本屋さんに行って自分で調べたり、「この人は」と思える方にご教授いただく機会にも恵まれた。それにより自分なりの死生観が確立されているので、死は怖いものだとは思わないし、あの世や魂も特別なものだったり未知のものとも思っていない。そもそものところ、なぜ人は海岸に集まるのか、山に登るのか、そのあたりのことを多角的に考察してみるといろいろと見えてくるものがあるんじゃないの?と思っている。

そういえば、舌癌での入院中、口内に溢れる粘液が突然止まったというようなことをいつかの日記に書いた。実はあれは自然に止まったのでは無くて、自分で止めた。粘液への対応が辛かったので、自分で自分に5分ほどヒーリングをしたら粘液が出なくなった。その後のことはその日の日記に書いた通り。

波打ち際のこともヒーリングのことも、僕にとっての真実なだけであって、それを皆に信じてもらいたいとか、仲間を増やしたいとか、誰かとこの経験を共有したいなんてことは思っていない。僕の身に起きたことを事実として捉えているだけであって、それ以上でも以下でも無い。