検査待ちと代替医療

先々週の週末に見つけた首の右側のしこりが硬く大きくなっている。先週の診察の際には「癌では無いと思う」と言われたしこりだけど、ほんの少しの間にその姿を変えている。「気になる」と言われている左側のしこりほどの硬さには至って無いものの、大きさは同等か、もしくはそれよりも大きくなっている。首の右側を指先で丁寧に丹念に触れていったら「これもか?」と思えるものも見つかった。顎のすぐ下あたりに微妙ながらも薄いふくらみが確認できる。すぐに病院に行って確認をしていただきたいところだけど、確実な診断を仰ぐには、今週を予定しているPETを受け、その結果が出る来週の頭にならなければ分からないわけで、平たく言えば現状では何もできない。ただ待つしか無い。この待ち時間が苦痛でならない。
右側のしこりが硬くなり始めてからだったかな、死ぬことばかりを考えている自分に気が付いた。勝手に頭に浮かんでるのよ、自分が死ぬのかもしれないということと、死んだら家族がどうなるのかななんてことが。それに気づくたびにハッとして「そんなこと考えてちゃダメだ」と気を取り直した。これって取り越し苦労だよね。取り越し苦労ってのは生きていくうえでマイナスしか生み出さないよね。すべてのものごとはそれが起きてから考えればいい。まだ起きてもいないことを心配してもどうにもならない。それは頭では分かってるんだけど、自分ではどうにもできない状況だからかな、そんなこと考えているつもりは無いんだけど、気が付くと頭のなかはそんなことでいっぱいだった。「妻と子供に苦労かけちゃうな」「まだ元気なうちに会社を閉めた方がいいのかな」「子供は僕についての記憶なんか無いまま育つんだろうな」「ひとり親ってことでいじめられないかな」「両親より先に死ぬのは申し訳ないな」「妻の実家の近くに引っ越した方がいいのかな」「いつまで生きていられるのかな」みたいな。
で、金曜日だったかな。目を覚ますと同時に「そういえば…」ってことが頭に浮かんだ。前回頸部リンパ節郭清術の手術を受けたあとだったかな、機械式のお灸を買ったんだったってことを思い出した。なかなか高価なものだったけど、命には変えられないからなと思って買ったんだった。冷蔵庫にはビワの葉っぱが入ってるはず。そしたらそのお灸とビワの葉っぱでビワ温灸ができるじゃん!と思って飛び起きた。いや、飛び起きたは嘘で、横で寝ている妻と子供を起こさないようにそっと起きて、お灸の機械とビワの葉っぱを確認した。お灸はすぐに見つかったけど、ビワの葉っぱは冷蔵庫のなかでしんなりしていた。つまりはもう使えないってこと。でもそこは世の中うまくできているもので、僕が癌になる前から妻がつけていた「ビワの葉エキス」があるのよね。だからそれをビワの葉っぱの代わりに使えるんだよね。子供のガーゼをひとつ拝借して、それに軽くビワの葉エキスを染み込ませて、それを患部に当ててお灸をした。しこりとリンパを中心にね。それが効果があるのかどうかなんて知らないの。たださ、癌細胞ってのは40度だか45度以上になると死滅するって話があんの。そういう話をさ、半信半疑ながらもさ、信じたいんだよね。
朝昼晩、一日三回のお灸をしはじめて今日で4日目かな。顎の下の微妙なふくらみはどこにあるのか分からなくなった。左右のしこりはいまでも十分に確認できるけど、少し小さくなったような気もするし、柔らかくもなったような気もする。なによりも「待つだけ」では無くなったことが嬉しくてな。他人任せでは無く、自分で何かを施せるということがさ、なんかこう、わずかながらも快方に向けて進めていると思えて安心できるの。不安が軽くなるんだよね。だから今は「死ぬのかな」ってことはあまり頭には浮かばなくなった。それって大きいんだよね、自分にとって。

今朝も食器を洗いながら妻が我が子にご飯を食べさせている様子を見ていたけれど、なんかこう、幸せだった。ずっと続けばいいな。