写真家になる日

ハービーさんが「写真家になる日とは、カメラを買った日ではなく、撮りたいと思う被写体に出会った日だ。」と仰っていた。5年ほど前に開催されたトークショーでの言葉だったと思う。今でも僕の心の中に残っている。
その言葉通りとするならば、僕が写真家になったのは2013~2014年の頃だったと思う。なんとなく撮影していた海の中に脚を入れたとき、ふくらはぎにあたる波の引きと寄せとの往復に輪廻を感じたことがきっかけだった。この場所に輪廻を感じるのであれば、ここを撮り続けることで人生の全てを撮影することができるのかもしれないと思えた。それは「生」を撮影することであり、「死」を撮影することでもあるのだろうと。子供の頃から目には見えないものの存在を意識しながら生きてきた自分にとって、単に「綺麗だな」との思いからシャッターを切る作業とは異なり、自分の中にあるものを外に出す作業、つまりは自分自身を投影することができる被写体に出会えたのだと思えた。それまで何を撮ればいいのかよくわからない状態で写真を撮り続けていた自分が、それこそ憑りつかれたように波打ち際の撮影に没頭するようになった。目には見えないものを写せるようになりたくて。

「写真家」という肩書は僕にとってはとても重いもので、僕らの先輩方が積み上げてきてくださったものを頭と身体で理解し、それ相応のものを世に出し、そして最後にその覚悟を心に刻めなければ、それを名乗る資格は無いと思っている。今は自分が写真家である旨を便宜的に記すことはあるけれど、胸を張って宣言するまでには至っていない。おそらくは自分のなかで「やり切った」と思える日が来るまではその肩書を名乗ることは無いと思う。つまりは写真をやめたときに、過去形で名乗ることになるんだろうなと。僕、写真家だったんですと。おかしな話かもしれないけれど。