妻が撮る写真

最近、僕よりも妻の方が写真がうまいと思える。「うまい」というのは少しニュアンスが違うな。いい写真を撮る。妻が撮る写真はストレートだ。僕が撮る写真はひねくれている。性格の違いと言ってしまえばそれまでだけれど、その違いが如実に写真に現れる。ストレートな写真を撮る妻に裏山Cさを感じる。あ、わからなかったかもしれないのできちんと言うと、「うらやましい」ってことだから。
僕が言う「写真を撮ることってセルフカウンセリングだよね。」ってのはこのことなんだよな。できあがった写真を見て己を知るみたいな。

性格ってのはなかなか変わるものでは無い。ひねくれた性格の僕がまっすぐで純粋な心を持つためにはなかなかな高さのハードルを超える必要があるものと思う。だから僕にはストレートな写真を撮ることは難しい。無理をしないと撮れない。己に嘘をつかないと撮れない。そしてその作業はなかなか心に負担がかかる。
そして重要なところだけど、僕は純粋な心を持ちたいとはさほど思っていない。僕以外の人間は純粋であった方が良いだろうとは思うけれど、僕の場合はこれでいい。人間たるもの特徴があってナンボだと思っている。右に倣えじゃつまらない。このひねくれ具合が僕の特徴なのだから、それをもっと前面に出したいと思っている。もっと作品に落とし込むべき。この程度のひねくれではまだまだ甘い。「なんじゃこりゃ?」ってやつが撮れるようになるまで存分にひねくれてやるんだからな。