プロのカメラマン

20161118

先日、有楽町付近からタクシーに乗ったところ、運転手さんから「プロのカメラマンさんですか?」と尋ねられた。たすき掛けにしたカメラは僕の背中側にあったので、よく気づいたなと。見てるんだなーと。プロでは無く単に趣味で撮影をしているだけですと伝えると、いやでもすごいカメラじゃないですかと。プロにならないんですか?と。いやいや、カメラを使って撮影をしているとはいえ、クライアントさんの要望を(むしろ要求されている以上に)かなえるべく撮影をするだなんて僕にはとても無理ですと。自分勝手に撮影をして半強制的に世間様に見せびらかすようなことしか僕にはできませんとお伝えした。運転手さんのお友達がなかなか有名なプロのカメラマンだそうで、お名前を教えていただいたけれど、他人への興味が薄い僕はもちろん存じ上げなかった。若い頃はかなり稼いでいたそうだけど、ここ何年かは業界全体の単価が下がってしまったので、今では半リタイアの状態だそう。誰にでも撮れるようになったし、クオリティの高い写真を求められることも無くなったとも仰っていた。まーなんつーか、僕はプロでは無いので業界内についての詳しいことは知らないけれど、同じ「制作」を生業としている身としては、状況についてはなんとなくは分かる。まぁそうだろうなぁと。単価下がるだろうなぁと。アドバイスを求められたわけでも無いし求められても答えられないけど、「へー」とか「はー」とか「そうなんですねー」と返事をしているうちに自宅に着いた。
まーどうだろ、大変なのはわからなくは無いけれど、工夫が必要なんじゃないかなぁとは思った。時代って変わって行くものだからそれについて行こうとしないとダメだよね。それを止めてしまったらねぇ。プロなのに。写真の世界に限ったことでは無いけれど、やりようっていろいろあるはず。角度で言えば360度あるのだから、360箇所から自分を眺めてみればなんとなくヒントはつかめると思うのだけれど。流れが止まる前に軌道修正する必要があったのだろうし、止まってしまったら漕ぎ出さないとならないだろうけど、もう漕ぎたく無いのかなと。年齢的にも必死で稼がないとならないわけでは無いみたいだし。僕と同じように、自分勝手に撮影をして半強制的に世間様に見せびらかすような日々を過ごしてみるのもいいんじゃないかなと思った。動けば何かが生まれる可能性があるわけで、何もしないよりはずっといいんじゃないかと。