僕の舌癌の原因(推測)

ものの本を読むと、舌癌になる原因は、飲酒、喫煙、刺激物、舌への刺激と書いてある。僕の場合は舌を噛んだことに起因すると思われているんだけど、舌を噛んだのはそれが初めてでは無いにも関わらず、どうしてそのときだけ癌化したのかは分かっていない。分かってはいないんだけど、実は心当たりならある。その心当たりは確実なものでは無いから今まで公にしていなかったのだけれど、このことを書くことによって多少なりとも癌患者が減ることになるのかもしれないしなと思えたので、書いておくことにする。もう一度書いておくけど、確実な情報では無いからね。

舌癌になる数か月前から、ある健康器具を使いはじめていた。敷布団のようにマットレスの上に敷くタイプのもので、知人が使っていることを知って僕も使うようになった。その健康器具についての詳細と僕が使いはじめた理由は書かないでおくけれど、家庭用のもので、高周波を出すタイプのものだった。「高周波・温熱」というやつだ。それを使い始めて数か月経ったころに舌を噛んでしまったのだけれど、いつものことなのでそのまま放置しておいたらそこが癌になった。そんな流れ。
その健康器具は通常のルートで購入すると30万円以上する高価なものなので、ヤフオクで中古品を購入をした。説明書は付属していなかったので使い方等々はネットで調べた。注意事項の欄に「悪性腫瘍のある方は使わないでください」的なことが書かれていたけれど、使い始めの頃は悪性腫瘍なんてものは無かったので気にはしていなかった。ただ、使っている最中に舌を噛んでしまい、それをいつものように放置していたら癌になってしまったということ。
なのでメーカーや機械が悪いとは全く思っていないけれど、寝ている最中に舌を噛んでしまい痛くて起きるということを数か月に一度は経験していた僕が、その健康器具を使っていた数か月の間に舌を噛んだら癌になったということは事実なので、僕的には「舌を噛む+健康器具=癌」と考えている。健康器具を使うと確実に癌になるよということでは無いけれど、気軽に使うもんじゃ無いなと。僕の場合は。

ってことで、本当なら僕もクリほにゃらら・ロナウド選手のように器具を使って気軽にシックスパックになりたいのだけれど、さすがにもうその勇気は無いのでござる。あ、その「シックスパックになれる機械」が今回の癌の原因じゃ無いからね。全ては僕の認識不足のせいなのです。

喉元過ぎれば…

ここのところ舌癌に関する日記を読み返していたのだけれど、あれからまだ10カ月しか経っていないのに、そのときの出来事やら思いやらもろもろのことを忘れてしまっていたらしいことが分かった。「喉元過ぎれば…」というやつだ。イカンなぁ。ただ逆に言えば、日記という形で記録をしていたことは正解だったなと。それさえ無かったとしたら本当に全てを忘れているところだった。もういつでも水を飲んでもいいのにこちらから聞くまでそれを教えてくれなかったことや、シャワーを浴びてもいいのにこちらから聞くまで教えてくれなかったことや、「窒息する!」と訴えているのに「酸素来てますからー」と言って部屋から出て行かれてしまったことなど忘れていたよ。あれ?全部文句になっちゃったな(笑)。いや、でもほんと、あの病院で手術をしていただけて良かったと思っている。良い巡り合わせだったと感謝している。最初に診てくださった小さな病院の先生にも、検査をしてくれた大きな病院の先生にも感謝している。もちろん支えてくれた友達たちにも、部下たちにも、妻にも、なんだったらそこらへんに生えている草や花や雲や空にも感謝している。犬や猫やおじさんやおばさんにも感謝している。みんなありがとう。おかげで僕は元気です。今でも舌が曲がっていて喋りづらいけど元気です。元気が一番。元気があればなんでもアレだ、できるんだよ。猪木が笑えば世界が笑う。だいたいそんな感じかな?
なんだかアレな感じになっちゃったけど、妻には本当に感謝している。いつもありがとう。

愛と思い出

舌癌の手術を終えてから9カ月。今日は久しぶりに造影剤を使ったCTの検査を受けてきた。現在事務所への一時帰宅(正しくは帰社か)中で、数十分後にまた事務所を出て病院へ向かう。CTの結果を聞きに行く。
病院へ行くには本郷三丁目の駅で降りてから東大の構内を歩くことになる。構内を歩きながら思うのは「ここ(東大)で勉強できたら楽しかったかもしれないな」ということ。もちろん賢いわけでは無いので無理な話だけれど、どの環境に身を置くかということは大切なことで、東大に入学していれば、つまりはヒエラルキーの上位に属していれば、自分が身を置く環境の選択肢はもっと多かったのだろうと今になって思う。もっと言うと、文系じゃ無くて理系を選べば良かったなとも思う。大切なことなので、自分に子供ができたら教えてあげるつもり。
とはいえ、死と向き合うことで一時的に視野が狭くなった僕からすれば、僕の人生の目的とは思い出を作ることであり、愛に生きることだと思えた。なのでいいの、ヒエラルキーの上位に属していなくても。顔はムッツリしているけれど、中身は愛の塊だから。そうだから。