昨日の日記の続き(憑依の本質)

昨日の日記、やはり簡単にでも続きを書いた方がいいかもしれないと思えたので書くことにする。慣れ親しんでいない分野のことについてあれこれ書かれても理解が難しいだろうと思えるので、誰にとっても身近であろうことを例として挙げて書いてみる。オレ優しい。

誰かに誘われるとする。ご飯でも旅行でも何でもいいんだけど、誰かに誘われた際にすぐに快諾はしたものの、後になって後悔するタイプの人。普通に考えると「流されやすい人」なんて言い方になるんだろうか。そんな人を霊的な角度から見ると、憑依体質、もしくはその素質があるのかもしれないなと思える。人混みでイライラする人。単に混雑に対してイライラしている可能性が大だろうとは思うものの、これもやはり霊的な影響が無いとは言い切れない。
どういうことかと言うと、まず「憑依体質って何やねん」ってところから説明するけども、「憑依」と聞くと何か悪いものが自分の身体に入ってきて支配されてしまうようなそんなイメージを持つ人が多いだろうと思う。それも間違いでは無いんだけど、憑依にも種類があってさ、前述の「悪いものが入ってくる」「乗っ取られる」みたいなケースも確かにあるものの、実はそれはごく稀なことでね、憑依の大多数は「感応」と呼ばれるもっと簡単な現象なの。感応ってのはその字面を見れば想像できると思うけど、周囲のものに反応して感化されてしまうこと。一つ目に挙げた例で言うと、誘ってきた相手の持つワクワクだとか期待のようなエネルギーに感応して、自分も似たような心境になってしまうこと。「行く行く!」って。これ感応。二つ目の場合は、大量の人間が集うことによって増幅された「感情」というエネルギーにやられてしまうこと。これも感応。
あまりよろしくない感応の例をふたつ挙げたけど、良い方向の感応ももちろんあって、たとえば皆が同じ方向に向かってプラスのエネルギーを発するような場での感応がそれにあたる。たとえばライブ会場とか。スポーツが強いチームもそうだろうし、会社もそうだと思う。上へ上へと向かうエネルギーを持つ群衆のなかに身を置くと、自分もそれに感化されてプラスのエネルギーを持つことができる。夫婦が似てくるなんてのもそうかもしれないし、霊能力の強い人と一緒にいると自分も霊能力がアップするなんてのも同じだろうな。

憑依体質の人の身にはこういったことが頻繁に起きるから、けっこう大変だと思う。僕もそうなんだけど、言ってみれば、もはや本当の自分が分からなくなっているのかもしれないなとも思える。日頃「自分」だと思ってる感情が、実は周りから影響を受けて何色かに染まってしまったものなのかもしれないなと。僕の場合、朝起きた瞬間に胸に浮かぶ感情が自分の素直な気持ちだってことに高校生あたりのころに気づいて、それからはその「朝イチの感情」を大切にするようにしてるんだけど、要はそういうことよ。日中行動しているときの自分は本当の自分でもあるんだけど、実はちょっと違っているというね。「なんでこんなこと言っちゃったんだろう」みたいなことってあるでしょ。それよ。たぶんそれ感応なのよ。
では憑依体質の人はどうすりゃいいのかってこと、自分を取り戻すにはどうすりゃいいのかって話だけど、それが昨日の日記に書いたことなんだよね。上がっている意識を下におろしてあげればいい。下におろすことで本当の自分の感情にたどり着きやすくなる。昨日書いた「おなかに手をあてる」とか「マラソン」とか「音楽を聴く」もそうだけど、瞑想とか座禅もそうだよね。あれも意識を下におろすための方法。なので日ごろからそんなことをして意識を下におろす訓練をすればいいと思うんだけど、瞑想とか座禅についてはね、慣れていない人がそれをやると逆に憑依される可能性があるからさ、ひとりでやるのはお勧めしない。有識者のもとやってほしい。なので慣れないうちは目を開けたままできること、つまりはマラソンとか音楽なんかがいいんじゃないかなと。目を閉じちゃうとね、ちょっと危険を伴うことがあるのよ、この世界は。

長くなったから今日のところはこのあたりにするけれど、これでも全体の何分の一だろう、とにかくまだまだ説明が足りない。今日書いたことは脳波と霊能力との関係に関わる話でもあるから、本当なら脳波についても説明しないとイカン。僕ね、脳波測定器を買ってその実験をしたことがあるのよ。霊能力ってのは特別なものでは無く、誰もが当たり前に持っているものであるってことを証明したくて。誰もが当たり前に持ってるんだから、それを自らの意思で調整できたとしたら便利でしょ?そのこともさ、また気が向いたら、もしくは必要だと思ったら書くことにする。今日はこれでおしまい。