24時間の使い方

高校生の頃にお付き合いをさせていただいていた女性が「学校に行って、塾にも通って、バイトもして、部活にも出て、彼にも会って、1日が24時間じゃ足りない!」と言っていたけれど、当時の僕は1日が24時間でも十分だった。と言うか、むしろ余っていた。もっと歳をとったら足りないと思うようになるのかなと思っていたけれど、47歳の今でも大差ない。
人間にはそれぞれキャパがある。だから僕にとっての余暇は必要なもので、それがあるからこそそれ以外の時間を集中して使うことができている。本当ならそこにレタッチの勉強やら崇敬神社への訪問やら料理教室やら写真撮影やら筋トレやらをブチ込めれば充実したインプット生活を送ることができるのかもしれないけれど、先に述べたように人にはそれぞれキャパってものがあるわけでな、1日24時間も動きまわるだなんて、そんなことはマグロに任せておけばいいとしか言えない。