氏神神社

我が家は氏神神社の目の前にあるので、カーテンを開けると鳥居と参道が見える。さほど大きな神社では無いにも関わらず、日頃から参拝客は多い。朝には参拝の順番待ちも出て、参道まで入らずとも鳥居の前で立ち止まり一礼をしていく人も多い。その様子を部屋の中から眺めながら、愛される神社ってのはこういうことを言うんだろうなと思っている。そんな神社の前に居を構えることができたことを感謝している。

昨年のことだったと思うけど、数年ぶりに実家の氏神神社まで足を運んでみた。子供の頃には少年野球の皆で集まって階段上りをしたり、お祭りで太鼓を叩いたりといろいろな思い出がある神社だけど、はたしてここを訪れる人はいるのかな?と思えるほどにくたびれてしまっていた。手水舎は割れていて水が入っていないのは当然として、その上には落ち葉が堆積している。賽銭箱には何重にもチェーンが巻かれている。子供の頃のあのイメージはどこかへ行ってしまった。
いつのことだったか、神主の資格を取って実家の氏神神社の神主になりたいと思っていたことがある。何様なのかと思われるだろうけど、僕があの神社を守って行ければと思っていた。僕ももう46歳。これから勉強をして本当に神主を目指すかは分からないけれど、水道を引いて手水舎を作り、境内を綺麗にすることくらいはできるんじゃないかなと。神様が気持ちよく降りてきてくださるような、地元の方々が自然と集まるような、そんな場所を取り戻せたらと思っている。