気合い

今朝早くに北朝鮮が放った弾道ミサイルが北海道を超えて太平洋に落ちたとのこと。対応は国にお任せするとして僕が思ったのは、天気予報はやってくれよということ。連ドラが中止になるのはいいとして、天気予報はやってほしかった。

僕のように危機感が欠如している状態を称して「日本人らしい」ということもあるようだけど、なんつーか、落ちちゃったらしゃーないと思っていたりもする。僕が大切に想う人のところだけに落ちて僕だけ助かったらおいこのやろうふざけんなとなるけれど、僕のところだけに落ちるのであれば、まぁしゃーないと思うと思う。逃げる努力はするけどな。
つき詰めるとこのことは僕の死生観によるものなのだろうけど、もうちょい「生」に執着を持つというか、生きている喜びを体現するというか、そんな方向で頑張らんとイカンぞ自分、と最近は思っている。「死」に対する心の準備ばかり整っちゃってな。間違えてる。ただまぁ、こんなこと言ってると誰かに怒られるなとも思うけれど、なんだろうね、子供の頃からのものはなかなか拭えないんだよな。
こんなことを書いておきながらアレだけれど、生きる気は満々ではある。生きる気満々だけど、しゃーないものはしゃーないと思える。おそらくは、一度感電でもして心身に気合いを入れないとイカンのだと思う。激しいやつが必要だと思われる。