あたりまえ

先週の日曜日、唐突に実家の氏神様(氏神神社)のところに行きたくなったので、妻と一緒に行ってきた。この神社はお祭りのたびに太鼓をたたいたり、少年野球のチームで朝練をしたりした思い入れのある場所。もし僕が神職の資格を取得したとしたらこの神社の宮司になりたいなとも妄想していたことを思い出しながら書いている。
実家に車を置き、歩いて神社に向かった。驚いたのは神社の横にあった「お酒が湧いたという言い伝えがある池」が埋め立てられていたこと。長い手作りの階段を降りていった先にあった池で、確か鯉も数匹泳いでいた。祖母に連れられて何度か見にきたことを覚えている。その池が階段ごと埋め立てられていた。あまり詳しいことは知らないけれど、とても良くないことだということは分かる。
実家に戻りそのことを母に伝えると、ちょうどそのことで揉めていたところだと教えてくれた。あの土地は個人所有の土地らしく、そのような言い伝えがあったので大切に管理をしてはいたものの、それをいつまでも続けるのも困難だということで転売され、最終的にはどこかの業者に買い取られたと。そしてその業者が池を潰してしまい現在に至ると。神社の土地との境界線も曖昧なまま池に土を盛られたとも言っていた。

分かってはいるつもりだけれど、自分にとってあたりまえに存在しているはずのものって、あたりまえじゃ無いんだなと。時は過ぎて行くわけで、それに伴って変わっていくものもあるわけで。でもなんつーか、あの池を潰してしまうことはこの町にとって良くないことだと思えてね。そして、唐突に氏神様のところに行きたくなったのも、これを見るためだったのかなと思えている。両親からは「急に来るなんて、お彼岸だから来たの?」と言われたけど、僕の頭の中にあったのは神様の方だけだった。仏様についてはノーマークだった。仏壇に向かって謝っておいた。