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台風が来ている。昨日の夜あたりから我が家の周辺にも強い風が吹くようになった。強い風はよどんだものを吹き飛ばしてくれるみたいで好き。ずっと浴びていたい。全ての窓を全開にすれば、それだけで部屋の空気が綺麗になるような気がする。

風と言えば、葉山の御用邸の近くにある芝生のエリアはいいよね。あの、ちょっと岬っぽくなったところ。朝早くに写真を撮りに行ったら、砂浜沿いにプチ仙人のような男性が歩いてきて、その岬の先端で座禅を組んだ。「分かる、分かるよその気持ち。」と思いながら、少し離れた場所で撮影を続けた。
あそこは何だろうねぇ。どうしてあんなに心地いいんだろうか。御用邸ってのもいい場所に建てたもんだよな。さすがだなと思う。
まだ子供が小さいうちにあの場所に行って、ただただそこに立っていたいと思う。あの場所で我が子を抱っこしながら風を浴びてみたいんだよなぁ。

お盆休みに思う

世間はお盆休み真っ只中のようで、仕事への行き帰りの電車が空いていてとても良い。いつもこのくらいならいいのになと思う。

お盆休みってのは国民の休日に定められているわけでも何でも無いのに、多くの会社が申し合わせたかのようにお休みを取る。先祖供養、先祖崇拝のためのものがお盆だと認識してるんだけど、その期間をお休みにしてくれて、世間もそれを認めてくれているだなんて素晴らしいことだなと思う。「みんな、ご先祖様を大切にしようね」ってことだもんね。もっと言えば、新嘗祭とかさ、この国固有の行事は他にもいろいろあるんだからさ、そっちもぜひ大切にしていただきたいなとは思うけども。
で、僕はどうかというと、社会人になってからお盆休みというものを経験したことが無い。大学を出て最初に入った会社はお菓子屋さんで、僕は鎌倉のお店で販売をしてたからさ、シフト制だったのよ。なのでお盆休みなんてものは無かった。で、会社を辞めてフリーランスになってからは仕事も休みも無い状態というか、毎日が仕事で毎日が休みみたいなもんだったから、やはりお盆休みという概念は無かった。で、法人化して現在に至るんだけど、仕事の内容が企業サイトの運用作業だからさ、カレンダー通りなんだよね。ゴールデンウィークは休みだけど、お盆は休みじゃ無いの。今日も元気に出社しているよ。

でさ、今日の日記で何が言いたいのかというと、いつも通り、特に何も言いたくは無いんだけどさ、強いて言うならば、この暑い時期に国民あげてお休みを取るってのはいいことだなと思うの。暑すぎるとか、寒すぎるとか、台風で危険だとか、乳牛がUFOにさらわれてるとかさ、そういった「普通じゃ無い日」は家から出ない方がいいと思うんだよね。なのでとても良いものだと思っている。で、さっき言ったことと少し被るけれど、このお盆休み、出来うれば、どこかに遊びに行くだけの期間として使うのでは無く、ご先祖様の供養や感謝の気持ちを持ちつつお過ごしいただければなと思う。祈ること、それがこの国のキモであって、そうやってこの国はまわって行くんだと思っている。

身体の調整

昨日は、いざというときにお世話になっているトレーナーさんのところで身体を調整していただいた。一度診ていただければあとは言われたとおりに自分でメンテナンスをすることで長期間お世話にならずに済むほどに的確な技術と知識をお持ちの方なので、何年ぶりだろう、おそらくは2年か3年ぶりにお伺いしたと思う。とてもお忙しくされている方なので、予約をしてから1か月後にようやくお伺いすることができた。
今回の目的は、頸部リンパ節郭清術の手術にて動きづらくなった左肩とその周辺を診ていただくこと。とはいえバランスが大切なので、ほぼ全身に施術をしていただいた。先生のところへは車で行ったんだけど、家の駐車場に戻りバックで駐車をする際に自動運転の機能を使わずに済んだのは大きいかな。施術の結果が出たということだよね。以前の日記に「首と左肩がおかしいから窓から顔を出しての後方確認ができなくて、仕方が無いから自動運転の機能を使って駐車してるよ」みたいなことを書いたけれど、昨日はきちんと窓から顔を出して後ろを向くことができた。完璧な状態を100とするならば70くらいではあるけれど、術前の状態に近づけたのは良かった。
昨日の施術で一番驚いたのは、何もお伝えしていないのに顔のバランスを整えていただけたこと。そう、手術をしてから鼻呼吸がしづらくなっていたの。その原因はね、顔なのか頭蓋骨なのかは分からないけれど、とにかくズレてたんだって。それを正していただくことで呼吸ができるようになった。僕はてっきり手術の影響で鼻腔近辺に腫れがあるのか、それとも鼻炎にでもなったのかと思っていたので鼻スプレーを使って鼻の穴を開通させていたんだけど、鼻スプレーは一度使うとずっと使い続けなければならなくなるものであり、身体にもよいものでは無いから使うのはちょっと…と諭された。少し変形していた僕の顔も、僕の知っている僕の顔にまでほぼ戻すことができた。そうそう、僕の顔はこれだった。あとは手術の影響でまだ少し腫れている顎や首あたりが戻ってくれれば完璧かな。お帰りなさい、僕の顔。っつーか、手術の影響ってデカいんだね。知らんところでいろいろとバランスがおかしくなってるものなんだね。術後は足を組みたくてたまらん日々が続いていたけれど、それも今日は無いもんな。正されたんだろうね、姿勢が。あとはそれを支える筋肉があればいいんだろうけど、筋トレはまだ先だろうな。
っつーことで、いつも通りに今後のアドバイスもいただけたし、それに則って生活していけば大丈夫かな、と思っている。

壁はいらない

ここのところの日本と韓国との関係は最悪なんだろうなと思える。これまでにもいろいろあったけれど、今回の「ホワイト国からの除外」が韓国側からすると決定打になったのかな?ホワイト国から除外されたとしても貿易ができなくなるわけでは無く、今までそのための手続きが優遇されていたものが通常通りの運用に変わるというだけであり、なのでどうしてそこまで憤慨しているのかがまるで分からないんだけど、ご本人たちがそう思っているのだから、特にこちらから何かを言うものでも無いかなと思っている。国として、今回の判断は正しいと思う。
で、ネット上では勢いに乗った方々の「韓国とは断交だ!」のような意見もチラホラと見受けられるんだけど、前にも言ったかもしれないけどさ、国と国民とは違うわけでさ、国同士がこんなときだからこそ、国民同士は仲良くしたいなというか、交流をはかれればなと思う。そりゃもちろん人間だから、行き過ぎたことを発したり行動をしたりする人は出て来るよ。でもそれって一握りだと思うんだよね。これは韓国の方々だけにあてはまることでは無いんだけど、仲良くすることっていいことだと思うのよ。無理する必要は無いんだけど、仲良く無いよりは仲がいい方がいいと思うもの。僕なんて、街でみかけた知らん人と仲良くなりたいなと思ってる。だから海外で電車に乗り合わせた人同士がおしゃべりしてるのをテレビで見て「いいなぁ」と思っている。
なんつーかこう、人間って、そういうことのためにも生きているんじゃないかと思う。心を通わせるというか。良くも悪くも得られるものはどんどん得ちゃった方が成長できるよね。韓国人だからとか日本人だからとか、男だからとか女だからとかそうじゃ無い人だからとか、なんかもうそういう壁みたいなのは関係無いと思うの。みんな仲良くやればいい。ただひとつ言いたいのは、そういうものを政治利用してくれるなよということ。いや、政治に関わってしまうのはケースによっては仕方が無い部分もあるけれど、そこに嘘や悪意があって欲しく無い。それはほんと、お願いしたい。気持ちよくいたいからな。

だからアートは苦手

あいちトリエンナーレ2019が別の意味で話題になっている。愛知県と名古屋市がお金を出して開催している芸術祭とのことだけれど、そこには慰安婦像と呼ばれている像が置かれていたり、昭和天皇の写真が焼かれる映像が流されていたり、安倍首相と菅官房長官の口にハイヒールのヒールの部分が突っ込まれた造形物の展示がされている(いた?)そうで。あいちトリエンナーレの事務局の話によると、それら展示物はいずれも芸術作品であり、表現の自由の範囲内のものであるとのこと。ただ気になるのは、それら展示物が置かれたエリア「だけ」は、そこで撮影された写真や動画をSNS上にアップする行為は禁止されているそうで。作者の表現の自由は許すものの、それを見た人の表現の自由は許さないというスタンスなのか。であれば「あっちの人が言うのはいいけどこっちの人が言うのはダメ」というヘイトスピーチの構図と何ら変わらないように思える。要は偏っているということ。それってアートなの?
ここのところ僕の周りではいろいろなことが起きているのでお休みをしているけれど、僕はカメラを使った作品づくりをしている。僕が表現したいものをカメラを使って表現している。そもそもこの日記もその一部だしな。そしてゆくゆくは、自分でギャラリーを作って僕の仲間たちの展示に活用していただいたり、自分の作品を展示するために使いたいと思っている。ギャラリーをお借りして展示させていただくのでは無く自前でギャラリーを持ちたいと思うようになったのは、所謂「アート」の世界にいる人や「アーティスト」と名乗っている方々のことが苦手だから。そういう人たちとの接触をなるべく少なくして、気持ちのいい展示がしたいと思えたからだ。全員が全員で無いことは言うまでも無いけれど、アートだと言えば何を表現してもいいし、何を言っても許されると思っている人がいる。その方々の思想が、僕が持つ常識とは相いれない。もし僕の家族の写真が焼かれてそれを不特定多数の方々に見せつけるように映像として流されたとしたら、少なくとも嫌な気持ちになるだろう。それをアートだと言われても、表現の自由だと言われても、いかがなものかとしか思えない。疑念しか湧かない。僕が知っているアートとは、そんな程度の低いものでは無い。人の心を良くも悪くも簡単に揺さぶることができるようなテーマやモチーフを選んでいる時点で、程度のほどを感じてしまう。
アートをプロバカンダの道具にしてはならない。アートとは、人の心を豊かにするものであってほしい。

【2019年8月5日追記】
「安倍首相と菅官房長官の口にハイヒールのヒールの部分が突っ込まれた造形物の展示」はされていなかったことが確認できました。この追記にて訂正します。