アイドルに思う

人間とは自分には無いものを求める傾向があり、そこを突けばビジネスは成立しやすいんだろうなと思っている。
僕の場合、ここ何年かはアイドルを追う傾向にあるけれど、僕がそこに何を求めているのかなと考えたとき、おそらくは笑顔なのかなと思えた。若い異性から向けられる笑顔。30代前半あたりまではまずまず身近にあったから、その意味では満たされていたんだと思うけど、オッサン化が顕著になるにつれ、お金と交換しなければ手に入れることができないものになってしまったのかもしれない。それが今の僕にとっての若い異性の笑顔の現在地。
笑顔があると何が得られるかというと、ドキドキだろうね。胸のドキドキ。これをときめきと言うのかはよく分からないけれど、ひとつ言えるのは、それがあると元気になるということ。なんかこう、やる気が出るし、身体も軽くなる(ように感じる)。やっぱりね、老若男女、ドキドキって大切なんだと思う。いくつになっても恋をすべき。うちの妻はプロレスラーが大好きだけど、それもドキドキだよね。なので正しい。どんどん好きになればいいと思う。健康の秘訣だと思う。
それと、アイドルを見ていると応援したくなるし、なんだかいろいろ教えてあげたくもなってくる。これは年長者ゆえの考え方だと思うんだけど、そのあたりのことも大事なことで、こう、なんつーのかな、うまいこと言えないんだけど、優越感的なものというか、支配下にあるかのように勘違いするというか、そんなものとのミックス具合がうまく行ってるというか、うまくやられちゃってるんだろうなとも思う。ドキドキと支配下のミックスな。遠い存在のようで、それでいて近くにいるような気もするし、みたいな。女性で言えば母性みたいなものなのかもしれないけども。
と、ここまで書いて気づいたけど、これってもしかするとキャバクラも一緒なのかもしれないなと。応援したくなるところ、笑顔がもらえるところ。ま、キャバクラへは行ったことが無いんだけど、要はビジネスの根幹って全て共通してるんだろうなーと思えたよ。ガワと言うか、アウトプットが違うだけ。おわり。

ももクロ

「インフルエンザじゃ無いと思う」と医師から告げられていた体調不良。数日が経過してから発熱し、仕事を休んで別の病院で診てもらったら、ものの数分でインフルエンザB型と診断された。それが金曜日の午前中の話。体調はまぁ良くはなってきているけれど、部下にうつすわけにはいかないので今日も自宅で療養をしている。本当は明日も休んだ方がいいんだと思うけど、どうなんだろう。

で、ももクロ。昨日のコンサートを最後に有安杏果がももクロから卒業した。嵐のように去って行った。もちろん当人たちからするとそんなつもりは無いのかもしれないけれど、外から見ている僕らからするとまさに嵐。一瞬で卒業してしまった。
昨日AbemaTVで放送された卒業コンサートを見ながら感じたのは、ももクロってのはやっぱり凄いなということ。他にアイドルグループは数あれど、ももクロってのは何なんだろうね、その魅力ってのは底なしなんだないうことを改めて感じさせられた。非常にチープな表現になってしまって恥ずかしい限りだけれど、オーラなんだよな、違うのは。歌も踊りも上には上がいて、ももクロがそのトップレベルにいるかというと失礼ながらそんなことは無いと思う。うまいグループって他にいるからさ。でもそこじゃ無く、なんだろう、もともと違うんだよな、ももクロって。持ってるものが。初めて生で夏菜子を見たときびっくりしたもん。「輝く」って本当なんだと驚いた。電飾も何もつけていない生身の人間が輝いて見えるだなんてさ、驚くよな。輝いてるの、彼女たちは。そしてそれを何年もの間キープし続けてるの。
有安がステージから降り、これで終わりかと思ってたら、ステージに残った4人が最後にもう1曲、よりによって『あの空へ向かって』を披露した。モノノフ歴が長いとは言えない僕でもこの曲にはそこそこの思い入れがあるもんで、グッと来るものがあった。「4人はこれからも大丈夫。これからも応援を続けるぞ。」と思わせる演出はさすがだなと思いつつも、ここは純粋な気持ちで、有安の未来を、そして4人の未来が明るいものでありますようにと願うのでありやす。有安、羽ばたいちゃっていいんだよ。

で、今日の写真は昨年末にぶっ飛んだNASのなかから救出されたデータのなかの1枚。「過去の自分は写真のデータとともに断捨離した」と思っていたけれど、こうやって見直してみるのも悪く無いもんだなと思えた。

ファン心理

事務所に着くなり部下たちが昨晩行われたフィギュアスケートの結果についてあれこれと話しはじめた。毎週月曜日にはその週末におきた出来事をひと通り話さないとならない事情でもあるのかねと思うくらいに月曜の朝はうるさい。早く仕事はじめろよと。それはいいとして、仕事をしながらその話がちょいちょい僕の耳を通して脳に刻まれて行くのだけれど、滑りを見て泣いたとか、あなたのお母さんとは気があうとか言うわけだ。滑りを見て泣いたというのはその言葉の通りでは無く、その選手のこれまでの頑張りやら壁にぶつかったことやらもろもろの背景を知っているからこそ泣けるわけで、たまたまテレビを見かけただけの一般視聴者にとってはどこに感動ポイントがあるのかなんてわからないだろう。僕も右に同じだけれど、言ってみればその「ファン心理」というものは僕にも分かるわけで、たとえばアイドルになりたい女の子が無事にアイドルグループへの加入が決まったときなど心から感動したりする。小さい頃からアイドルを夢見てオーディションに応募するも落ちる日々が続き、憧れだけではどうにもならないことに気づいて歌とダンスを勉強し、次のオーディションに応募するもやっぱりダメで心が折れかけ、それならばと養成所に入って鍛錬を積むも後から入ってきた後輩たちに次々と追い抜かされ、自分の能力と年齢との戦いに不安を感じる日々を過ごし、ある日サプライズでグループへの加入が発表されたりすれば僕も涙が浮かぶわけよ。諦めないで頑張ってきてよかったね!と。なので「なんでこんなブスがアイドルやってんだろ」とか言っちゃダメなの。その裏にはとてつも無い努力があるはずだから。