死ぬこと、生きること

今日は一日中病院だった。午前中に造影剤を使ったCTを撮って、午後はその結果を元とした診察だった。結果、転移等は見当たらなかった。順調みたい。よかった。今回は頸部リンパ節郭清術の手術をしてから初めてのCTだったので、もしかしたら何かが見つかるかもしれないと思っていた。術後すぐに何かが見つかることって少なく無いみたいだからさ、それが無かったとのことで安心した。

僕は死は怖いものでは無く単にあの世へ帰るだけのことだと思っているので、なんつーか「そうなったらしゃーない」くらいのものとして捉えてきた。悔いの無い日々を過ごしているので、いつそうなってもいいかなと。でも2016年に再婚をして、今年の春には子供ができて、つまりは僕が愛する対象が増えたということなんだけど、それにより、可能な限りは長生きをしたいと思うようになった。そう、長生きをしたいと思うようになったんだな僕はと思ってたんだけど、今日を迎えるまでの数日間、実は癌が再発したり転移したりすることへの恐怖を感じていた。怖かったのよ、今日のことが。これってどういうことかと言うと、死にたく無いと思ってたってことなのよ。「長生きしたいな」どころじゃなく、いつの間にか「死にたく無い」と思うようになったみたい。なぜそう思うようになったのかを病院から帰る電車の中で考えてみたんだけど、おそらくは、我が子に対しては「一人前にしてやるまでは」との想いがあって、妻に対しては「まだまだ一緒にいろんな経験をしたい」って想いがあるみたいなんだよね。それまでは死ねないぞということでは無く、死にたく無いぞということなのよ。共に生きていきたいの。
共に生き続けて何をしたいのかって、特別なことなんて必要無いの。一緒にお皿を洗ったり、お散歩に出かけたり、風の気持ちよさを分かち合ったりとか、そんなことをしたいのよ。そんな日々をさ、まだまだたくさん経験したいなと思って。

死に対する解釈、つまりは怖いものでは無くあちらの世界に帰るだけって考えは変わらないけれど、なんていうのかな、生きることについて本気になりつつあるとでもいうのかな。どうもこううまく言えないんだけど、生きるとか死ぬとか、それらの重みが僕のなかで変わりつつあるのかもしれない。
「生きている」っていいよね。

ポルシェ

2週間くらい前だったかな、数か月ぶりに二子玉川に行ったらポルシェの中古車が大量に展示されていた。楽天があるところ、あそこ何て言うんだっけ?とにかくはあそこにポルシェがズラッと並んでいて「うおっ!」となった。フツーに生活してたらポルシェを見比べる機会なんて無いもんな。だからああやって屋外で誰にでも見れるようにしてくれてるってのは有難いよね。買う買わないは別としてさ。
で、僕もご多分に漏れず我が子を抱っこしたままズラッと並んだポルシェを端から見始めたんだけど、実際のところ、凄いなとは思うんだけど欲しいなとは思わなかった。そう思う一番の要因は「運転しづらそうだな」ってところ。広い道ならいいのかもしれないけど、角が丸くて車高が低い車だと死角が多そうに思えてさ。なので運転しながらいろんなところに気を遣わないとならなさそうで、おじさん疲れちゃいそう。
大学生の頃に「アメ見」と称して16号沿いやら環八沿いあたりにあるアメ車の販売店に車を見に行ってたことがあるんだけど、コルベットのスティングレイなんて運転席に座ると全然前見えないもんね。車の長さが分からんのよ。うちの近所の狭い道を走ろうもんならバンパーこすりまくると思うよ。僕にとっては憧れの車ではあるんだけど、まぁ、この近辺に住んでいる限りは乗ることは無いだろうなぁ。デトマソパンテーラやらロータスヨーロッパも憧れの車なんだけどね、前だけじゃなく後ろも見づらそうに思えるんだよね。バックするときはアレかね、カウンタックみたいにドア開けてそこから身を乗り出して後方を目視しながらバックするしか無いかね。知らんけど。
まぁとにかくアレだ、僕は運転が下手なので、そういう車は憧れとして胸にしまっておくのがベターだろうと思っている。運転するものでは無く愛でるもの。たぶんそれ正解。

癌になって思ったこと

舌癌が発覚したのが2016年の7月。ステージは2と診断され、2であればすぐにどうこうなってしまうものでは無いと知っていたので安心はしていたけれど、それでも癌には違いないわけで、「もしかしたら死ぬのかな?」なんてことも頭の中には見え隠れしていた。
そのころの日記にも書いたけれど、病室のベッドの上で天井を見上げていた僕の頭の中に浮かんでいたのは「僕はこれまでにどれほどのことを経験できたのだろうか?」ということと、「周りの人に優しくしてこれたかな?」ということ。不思議とモノやらお金やらのことは浮かばなかった。「生きているうちに爪痕を残してやる!」とかそういうのもどうでもいいみたい。おそらくはそのときに頭に浮かんだ「経験」と「愛」が、僕が今生を生きていくうえで大切なものなんだろうなというか、今生での目的なのかなと思えてね。この世で得られる財産って、おそらくは「体験」なんだよ。良くも悪くもそれをあの世に持ち帰るがために生きているんだろうね。
で、今はどんな心持ちで毎日を過ごしているのかというと、やっぱりね、忘れちゃうんだよね。あのとき、視野が狭くなった状態で感じたそれらのものは僕のコアな部分なんじゃなかろうかと思っているんだけど、日々の生活のなかではどうしても忘れてしまうことが多くてね。それが人間だと言われればそれまでだし、生きていくうえでは物質的なものも大切になってくるけども、あれから一度の再発(ステージ1)と一度の転移(ステージ3)を経験しているわけで、なんつーか、「もう一度、生き方を考え直した方がいいぞ。」と言われているような気もする。本当に大切なものだけを見つめて生きていればその他のものは勝手についてくるものなんじゃないのかな、とかね。たぶんそうなんだけど、それもまた勇気がいるのよね。信じきれるか否か、かな。

ここに住めてよかった

この週末は我が家の目の前にある神社のお祭りだった。昨日はお昼前あたりに山車と御神輿が出発して、夕方からは近隣の方々による演芸、そして日が暮れた頃には町内を回っていた山車と御神輿が老若男女を引き連れて戻ってきた。戻ってきた御神輿は、最後のパワーを振りしぼるように動きまわる。その周りでは大勢の方々が歓声をあげながらスマホを向ける。平たく言うと、最高潮の盛り上がりを見せている。「ここに住めてよかった」と、その様子を部屋の中から眺めていた妻が言う。その言葉の真意は聞いていないけれど、いや、聞いたけど忘れてしまっただけかもしれないけれど、こういった行事をきちんと、そして盛大におこなう地域に住むことができてよかったということなのだろう。

この土地に越してきたのは2012年の始めだった。僕がまだ独身というか、バツイチの4~5年目だった頃。引っ越し先はどこでも良かったんだけど、せっかくなら自分が好きになれるような場所に住みたいなと思い、自分の崇敬神社の分社の場所をまずは調べはじめた。そしてその神社の近くにある賃貸マンションを調べ、そのマンションに空きが無いかを調べてみたら、空いていた。そんな経緯で引っ越してきたのが今のマンション。
住んでみてわかったのがこの土地と僕とのマッチングの良さ。引っ越してきて1週間後に大きな案件が舞い込んで、1年しないうちに妻と出会った。前の妻との離婚から4~5年ほどが経ち、それまで停滞していた運気が一気に上がったように思えた。今の妻が部屋に泊まりにくるようになって手狭になりつつあったこともあり、どうせなら神社の真正面にある少し広い部屋に引っ越したいと思っていたころに空きが出て、審査の順番は2番目だったにも関わらず、今の部屋に引っ越すことができた。神社は南に向いていることが多いので、神社の正面の部屋ということは必然的に北向きの部屋ということになるから日当たりの悪さが心配だったけれど、部屋の北側に大きな窓が開いているといいと聞いたことがある。幸いにしてこの部屋の北側は、その全面が窓になっている。「いい」ってのはどういうことかというと、そこから神様が入ってきてくれるんだって。その真偽のほどは知らんけど、カーテンを開けると僕の崇敬神社が目の前にあるってのは悪く無い。そしてその神社が地域の皆さまから愛されているのだからなおさら。

これまでに7度の引っ越しを経験している僕だけど、同じ土地に7年も住み続けるだなんてここが初めて。マンションを購入したときですら4年しか住まなかった。果たしていつまで住み続けることができるかは分からないけれど、このご縁には感謝しているし、願わくば、それが少しでも長く続けばいいなと思っている。

我が子の成長

僕が仕事から帰ってきてから一番最初におこなうのは我が子をお風呂に入れること。いつからか、子供をお風呂に入れるのは僕の役目になった。

子供の身体を毎日のように洗っていると、その変化に気づきやすくなる。太ももにあったしわが1本減ってるなとか、お腹まわりに肉がつきはじめたなとか、髪の毛が生えてきたなとか。肌の湿疹や鼻の穴の詰まりに気づいたりもするけれど、それ以外は全て子供の成長の過程を目にしているということなんだろうね。服がパツパツになりつつあるのも頷ける。
変化があるのは外見だけでは無くて、行動にもそれが現れている。一番驚いたのは、一緒にお風呂につかっている最中にやけに下を向くようになったこと。最初はたまたま下を向いちゃったのかなと思っていたけれど、よく観察してみると、首を下に向けてお湯に口をつけ、それを飲んでるんだよね。うわマジかよと思って風呂から出たあとに笑いながら妻に報告したら「飲ませないでよ」と。次の日からは注意するようにしているけれど、身体を洗っている最中に僕の腕に口をつけて腕についているお湯を舐め始めたのはどうすべきかと。これはお風呂のなかのお湯では無くてシャワーのものだからまだセーフかなと思いつつも、ボディーソープが交じっている可能性もあるわけなので、なるべく舐めさせないようにしている。お風呂のお湯を飲むだなんてどこで覚えたんだろうか。僕は教えて無いんだけどなぁ。

子供の成長は早いというけれど、ホントだね。まだ生まれてから4か月だけど、徐々に首が座りつつある。歌を歌うと喜ぶのは相変わらずだけど、そのうち「お父さん臭いから嫌い!」とか言うようになるのかな。
服もサイズが大きくなり、布団も大きなものに変えて、お母さんの自転車を買い変えて、部屋もそれなりに大きくしないとならないな、なんてことを考えていると、貯金しなきゃなと思う。我が子の成長とはつまりお金がかかるということ。そこかい。