心の場所

20130603

えー、金曜日は日記をお休みさせていただきました。理由は特に無く、言って見れば「なんとなく」なわけです。ただ休んだことにより、どうやらこの日記を楽しみにしている方もいらっしゃるということが分かりました。休んでみるもんですね、収穫です。しかも、カテゴリーで言うところの「おかしな話」の人気が高いようですので、今日はまたそんなお話をしてみようかと。

僕が常々思うのは「心」ってどこにあるんだろうかってことです。そもそも心ってものは形も無いんだろうし曖昧だよなぁとも思えるのですが、嬉しいとか悲しいとか想ったりとか、感情的なものなのかなぁと思います。
たとえば心が痛むときってだいたい胸のあたりを指しますし、「胸がキュンとする」なんてのも文字通り胸ですよね。では胸に何らかの臓器があるのかというと心なんていう臓器は無いわけで、まぁ心臓と肺くらいですよね。そもそも心って臓器だとは思えないですし。ああそうか、僕らが言ってる心ってのは、目の前に理想通りの女子が現れてドキドキするとか、車にひかれそうになって驚くだとかの何らかの外的要因により血管が膨張するのか収縮するのかなんだか分かりませんが、とにかく通常とは異なる物理的な何らかがおきて、それを神経が感じ取ることによって「心が動いた」的な感覚&解釈のことを指すのかな?なんてことも思わなくも無いのですが、どうにもしっくり来ない。なぜかと言うと、果たして心臓に「記憶」なんて機能あったっけ?と思うからです。
記憶と言えば脳ですよね。となると、目で見てかわいいとか危ないとか、要は過去の記憶ってものを元にして脳内でふるいにかけられた情報が心臓にわたり、そこで状況に応じた血管の膨張や収縮が行われ、その物理的感覚のことを心と言うのかもしれないね、なんてことも思うのですが、そうなるとつじつまが合わなくなって来るのが、肉体が滅びると記憶や心も滅びてしまわないとおかしいでしょってことなのです。ここまで読んでくださった方は「あ、そうだった、これは科学的な話じゃなくて「おかしな話」だったんだ」ってことを思い出したことと思います。よかったよかった。

あのね、一度でも幽霊と接触をしたことのある人であれば分かると思うのですが、既に肉体を持たない人が過去の出来事を記憶しているってのはなぜなのでしょう。輪廻転生を信じている方であればなおさら思いますよね、どうして過去生の記憶があるんだろうって。脳はもう焼いちゃったから無いんですよ。ほら、どうしてだと思います?

僕が思うに、もちろん仮説ですが、脳っておそらく記憶装置と言うよりはコントローラーの役目をしている臓器なんじゃないかと思うのです。手を動かせとか、あっち見ろとか、お腹すいただろうとかそんなコントロール。そもそも臓器ってのは脳に限らず腎臓だろうが筋肉だろうがそれぞれが独自にある種の記憶装置的な役目も果たしているという説もあるので、そういう意味で言うと脳も記憶装置のひとつと言えるのですが、本来の役目はコントローラーではなかろうかと思っています。では記憶ってのはどこに蓄えられるのかと言うと、僕の仮説は2つありまして、まずは1つ目をお伝えするとですね、記憶は肉体が滅びてもストックできる場所、すなわち霊体(幽体?エーテル体?よく分からん)にストックされるのではなかろうかと思うのです。ちょっと語弊があるのですが、イメージとして分かりやすいだろうと思うので言ってみると、オーラです。そのあたりにストックされるんじゃないかなぁなんてことを思うのです。であれば、亡くなった方と過去に関する会話ができるということも頷けます。だって記憶は既に失った肉体ではなく、霊体にストックされてるんですもん。では2つ目。リアルタイムに必要な程度の記憶は臓器の中でも主に脳にストックされ、それ以外の記憶、たとえばあまり頻繁に使わないような過去の記憶なんかは全てあの世(違う次元)にあるパーソナルスペースにストックされているんじゃないかなぁ、なんてことを思います。過去の記憶が必要になったときに無意識にそのスペースにアクセスすることによってその記憶が蘇るようになっているとか。で、亡くなった瞬間に全ての記憶はそのパーソナルスペースに保存されるとか。今で言う「クラウド」みたいなもんですよ。どうよこれ。
このパーソナルスペースの考え方は個人的にはなかなか外していないんじゃないかと思える根拠(実体験)があるのですが、さすがに今日の日記は長すぎるのでまた日を改めて書くか、もしくは気になって夜も眠れないというようであれば、僕と会ったときに聞いてみてください。ここまで書いてアレですが、実は「心の動きって、要はチャクラの動きだよね」なんてことを思っていたりもしますので(笑)。

30000人のアレ

20130530

富士フイルムさん主催のアレ、正しく言うと「30000人の写真展」に応募してみようと思っていたのですが、締切が明日までと聞きアセっているなう。

「30000人の写真展」は昨年見に行ってみたのですが、「どうだ、これがオレのバイクだぞ。えっへん。」みたいな写真もあり非常に好感を持ちましたので、ならば拙者も馳せ参じようと思った次第でやんス。

ということで無事に応募できるのか否か、ドキがムネムネだね。

自営業とサラリーマン

20130529

隣の芝生はキレイに見えるものですので気持ちは分かるのですが、結局のところはどこに行っても「個」の能力がモノを言うものと思います。ここで言う「能力」ってのは仕事の能力はもちろんですが(それでもかなり多岐に渡るのだけれど…)、コミュニケーションなり、言葉遣いなり、清潔にしているなり、気遣いなり、もろもろです。明らかに抜きん出ているように見せるというのもひとつの手です。ただこれは仕事の方向性によるものですので、使い方には注意が必要です。

人間の印象って、初めて会ってから数十秒で決まるもの、そしてその7割は「外見」だそうです。言葉で繕っても限界があるようですよ。

終わり。