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チャレンジしてた

昨年末に我が家のNASがふっ飛んで、過去の撮影データが全て消えてしまったことは何度かここにも書いた。その後業者さんにお願いをして何割かは復旧していただいたんだけど、ファイル名もログ(日時)も全て数字の羅列に置き変えられてしまったので、一目ではどれがどのファイルなのかの見分けがつかなくなった。ダブルクリックして開けば分かるんだけど、なにせ何万枚ものファイルがあるものでね、全てをダブルクリックするのも手間なわけ。でもね、過去にこの日記にアップした写真だけは別で、それらのJPGデータであれば全てサーバーにアップされているので、閲覧することはできる状況。今日アップした写真もそれで、2015年の秋に鵠沼海岸で撮影したものだねこれは。存在すら忘れていたものだけど、じっくり見ることで、当時の僕が作品づくりに精を出していたことがひしひしと思いだされる。そりゃ「仕事なんてしてるヒマねぇな。」と思ったわけだなと。詳しくは書かないけど、これね、けっこう手が込んでる写真なのよ。実験的に作ったものなので甘さは否めないけれど、この考え方をもとにモチーフを変えて作品にまで昇華させるのも面白いだろうなと。気が向いたころにまたチャレンジしてみよう。

そういえば、直近の作品づくりのために必要だなーと思っていたLeicaのCCDを中古にて入手した。言い方を変えると、中古のM9を入手した。中古とはいえ安価なものでは無いので迷っていたけれど、防湿庫のなかに全く使っていないCanonのレンズが眠っていることを思い出し、それを売却することで資金を捻出した。
昨日久しぶりに使ってみたけれど、そういや液晶のモニターが見づらかったんだよなーとか、シャッター音うるせえなぁとか、忘れていたマイナス点がいろいろと思い出された。なにせ2009年に発売されたカメラだからね。でも撮影したデータをパソコンで開いてみたら、そんなもろもろもふっとぶくらいに綺麗な写真が撮れていたので、これなら行けるかなと。やっぱり好きだなー、このCCD。いろいろ撮ってみて、早いとこ、今の作品づくりに最適な組み合わせ&設定を見つけないとな。

戻って来い

ここのところ撮影の機会が増えていることは昨日の日記に書いた。で、撮影を重ねるたびにしっくり来ねーなと思ってるのは…なんつーんだろ、色のトーンかな。深さとも言うか。明度と彩度のバランスがちょっと気に食わなくて。撮影にはLeica SLを使っていて、それをPhotoshopを使って何とかカバーしようとしてるんだけど、どうにもイメージ通りにはいかなくて。僕の腕の問題なのか何なのか。
あのね、これ、Leica M9-P(もしくはM9)で撮れば解決すると思うのよ。最近撮り始めたシリーズにはあのCCDの色がマッチすると思えるの。なのでM9-Pで撮りたいところなんだけど、センサーの剥離うんぬんの時にSLと交換しちゃったからさ、もう手元には無いのだよ。あの頃はとにかくピントを合わせて撮影したくて、それを主目的として考えるとM9-PよりもSLの方に軍配があがるわけで、なのであの交換劇は致し方無いことだった。でも今は、あの色を取り戻したくてな…。
ってことで中古市場を探してみたら、M9-Pってほとんど出回って無いのね。M9ならあるんだけど、それもさほど安くは無い。Mの中古の方が安いんじゃなかろうかと。むむむー。イメージ通りの作品をつくることを取るか、貯蓄を維持することを取るか、悩ましすぎて僕ハゲちゃう。紙選びで何とかなればいいんだけどねぇ。

カメラはともだち

最近よく写真を撮っている。いままでは目的を持って撮りに出かけないと撮らなかったのに、なぜ毎日のようにシャッターを切るようになったのかというと、理由は簡単で、カメラをテーブルの上に置きっぱなしにしているから。大人になったら20頭身くらいになってどう見てもバランスがおかしくなってしまったO.Tくんがまだ子供のころ「ボールはともだち」と言っていたけれど、要はアレと同じだな。カメラはともだちだから防湿庫にしまっておいちゃダメなんだな。常に目の前に置いておかないと。常に目の前に置き続けていれば、そのうち僕も20頭身くらいになれると思うし、ドライブシュートも打てるようになると思う。

写真を撮る

今朝、ご飯を食べながらなんとなく窓際を見ていたら、光やカーテンや部屋のなかの空気感が優しく感じられて、写真を撮りたくなった。防湿庫からカメラを取りだし、1度だけシャッターを切った。
写真を撮るってこういうことだと思う。心が先なんだよ。心のままにシャッターを切ればいいんだよね。カメラを使うことと写真を撮ることとは別のことなんだろうな。
なんだかもっといい作品が作れるような気がしてきた。

※上の写真は今日撮ったものではありません。念のため。

作品展示によるモヤモヤ

何度も書いたことなんだけど、なぜか頭に浮かんだし、あれから3年以上が経過した今でも腑に落ちないことなので、また書くことにする。

エプサイトさんで個展を開催させていただいたときの話なんだけど、僕の作品を見て「見てわからないものは撮っちゃだめだよ。僕の生徒もこういうの撮るやつがいるんだよ。」と言った方がいた。「わからないものを撮るな」という、作品を理解しようともせずに(ステートメントすら読まなかった)否定したことと、「僕の生徒にもいる」という、仮にもエプサイトさんに選んでいただいて展示させていただいている僕とあなたの生徒さんとを同一視するという、ダブルで失礼なことを言う人だなと思った。エプサイトさんにも失礼だよね?失礼だなと思ったけど、ここまで足を運んでくださって、どこの馬の骨だか分からん僕のような人間に意見を述べてくださっているわけなので、お話を丁寧にお伺いした。ただその方がお帰りになってからフツフツと怒りが沸いてきてだな、芳名帳にあったお名前で検索をしたら、某所で写真を教えている方で、まずまず名の知れた方らしいことが分かった。「僕の生徒」と言っていたので写真を教えている方なんだろうなとは思っていたけれど、生徒に対して「わからないものは撮るな」と言ってしまう方がご自身ではどんな作品を制作されているのかなと思って探してみたら、隅田川を運行する船を撮ったものを作品と称していた。いや、別にいいと思う。ひとそれぞれだからいいと思うけど、あれは松本零士先生がデザインをした特徴的な外観をした船で、それを撮ってご自分の作品だとしていることに、僕とは180度考え方が違う方なんだなと思えた。そして、その方の生徒さんは幸せなのかなと疑問に思えた。僕は大学や専門学校では写真の勉強をしていないから分からないけれど、制作意図を知ろうともせずに「わからないものを撮るな」と言ってしまうその全否定が、生徒さんの成長の芽を摘むことにならないのかなと思えてな。

「作品は展示をした時点で自分の手を離れる」なんてことを言うけれど、なんかこう、嫌な気持ちにさせられたなというのが正直なところ。メーカー系のギャラリーに応募をした時点で覚悟はしていたし、様々なご意見をいただけるであろうことにメリットを感じていたけれど、写真の世界ってのはもしかすると未成熟なものなのかもしれないなと思えた。未成熟が渦巻いているこの場からは抜け出さないとイカンぞとも思えた。それも含めて「アート」と言ってしまえばそれまでなのかもしれないけれども。今はその時のモヤモヤというか怒りというか、そんなものが原動力になっているところもある。