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妻が撮る写真

3年くらい前だったかな。いや2年前だったかな。細かなことは忘れたけれど、いつだかの年末に、我が家のNASが飛んだ。そのNASにはそれまでに撮影した全ての写真のデータが入っていた。個展のデータも日々の記録も何もかも。専門の業者さんに依頼をして復旧をしてもらったけれど、どの程度のデータが復旧できたのかはよく分からん。なぜ分からんのかというと、データを復旧したことによりファイル名もフォルダの構成も吹っ飛んでいるので、一見して何のデータだかが分からん状態なのよ。ファイル名が数字の羅列になってんの。だからダブルクリックして開いてみないと分からんのよね。そんなんが何万ファイルもあるからさ、こりゃ開いてらんねーぞってことでずっと放置してたの。その放置してた作業にね、数か月前からやっと着手し始めたのさ。NASが吹っ飛んでから2年だか3年だか知らんけど、ようやく鬼のようなダブルクリックを開始したのだよ。
復旧されたデータはさ、僕のものだけでは無くて妻のものも含まれてるの。なにせダブルクリックしないと何のファイルだかが分からないから、開いてみて「あ、これ妻のだ。」ってこともあるわけさ。低くない確率で。でね、ここからが今日のキモなんだけど、その妻が撮った写真がさ、これがまたいい写真なのよ。

2年半くらいだと思うけど、毎週末に早起きをして、妻とともに夜明け前の海の撮影にでかけていた。車で片道1時間以上かけてな。僕は波打ち際をモチーフとして「目に見えぬ世界」の撮影をしてたんだけど、妻はそんなめんどくさいことはせずに、波打ち際の美しさを捉える作業(と貝殻集め)に精を出していた。その写真をここ1か月くらい見続けているんだけど、妻が撮る波打ち際は本当に綺麗。美しい。僕とほぼ同じ場所を撮っているにも関わらず、アプローチが全然違うからさ、全くの別物なの。これ、もっといろんなところで発表した方がいいと思う。
妻がさ、何年か前のグループ展で波打ち際の作品の展示をしていた際に男性に話しかけられてんだって。「この写真を撮ったのは誰?」って。「私です。」と。「森永純を知ってるか?」と聞かれたとのこと。どうもその男性はユージン・スミスさんの元アシスタントの方だったらしく、その関係もあって森永純さんのお名前が出たのかな?いや、単に妻の作品を見てピンと来たんだろうな。森永純さんのお名前を出していただけるだなんて、有難いね。

っつーことで、最後はなんとなく濁して書いたけど、とにかく言いたいのは、妻が撮る写真は僕なんかより5万倍くらい美しくて、2年半撮りためた波打ち際の写真は素晴らしいからまたどこかで展示した方がいいだろうし、既に撮りためている別の作品もきちんとまとめてどこかで発表した方がいいのにと思えるぞということだ。こんな作品が世に出ていないなんて勿体ない。妻の作品を見て、心動かされる人は少なくないだろうと思うんだよね。

昔撮った写真

2~3年前の年末に、それまでに撮りためた全ての写真のデータが入ったNASが吹っ飛んだことは既に何度か書いた。エプサイトさんで展示させていただいた作品のデータを含め、本当に全てのデータが吹っ飛んだ。業者さんに依頼をして8割ほどのデータは復旧できたはずだけど、ファイル名もフォルダ構成も撮影日も全部が全部吹っ飛んだので、ファイルをダブルクリックして開いてみないと何が写っているのかが分からない状態。何があって何が無いのかが分からんのよ。そんな状態なのでそのデータが入った外付けHDは「開かずの扉」ならぬ「開かずのHD」になっているんだけど、昨晩ね、超久しぶりに開いてみたの。開いてひとつひとつのファイルをダブルクリックして閲覧したのよ。そしたらさ、当時はノーマークだったんだけど、今の僕からすると「これいいな」と思えるものがいくつか見つかったんだよね。これってさ、僕の好みがどんどん変わっているのか、当時の僕は見る目が無かったのか、もしくはその逆なのか、どれなんだろうね。まぁいずれにしても日の目を見ていない写真は山ほどあるわけで、それらのなかから決して数は多くは無いけれど「いいな」と思えるものはあるわけで、もっと言うとPhotoshop(というか正確には「Camera Raw」)の機能も地道に上がっているからかつてはできなかった表現もできるようになっているわけで、ストックされている写真だけを使っても何度か展示できるんじゃなかろうかと思えてしまう。とはいえ本心は「また撮りに行きたいな」なんだけどな。

っつーか、波打ち際を撮った写真を見てるとさ、オレよくこんなの撮れたなと思えてくるよ。ボディーもレンズもマニュアルのカメラを使ってさ、夜明け前でファインダーを覗いてもほとんど何も見えない状況のなか、波がくるたびに足が沈むような場所で手持ちで置きピンして撮ってるんだよ。波打ち際でファインダー覗いてもらえれば分かると思うけど、波って速いのよ。しかもいい波って同じ場所で待っていても来るもんじゃ無いしさ、そんな状況下で狙った写真を撮るって大変よ。よくやってたなぁって自分を褒めちゃう。オレえらい。頑張った。

時計か!

我が子は寝ながら足をばたつかせるので、布団に対して正しい向きに寝かせてもすぐに動いてしまう。その移動がね、見ていて面白いなと思うんだけど、必ず時計周りにまわるのよ。腰のあたりを中心にして、綺麗に時計回りにまわっていく。頭の位置を0時の方向とした場合、寝かせてすぐに1時になり、しばらく目を離しているといつの間にやら3時になっている。3時になると敷布団から足がはみ出るので、おそらくは足のグリップが効かなくなるんだろうね、そこからは時計の針はなかなか進まなくなる。で、そのまま放置しておくのもなんなので、だいたいいつも3時を目途に抱っこをして正位置へと戻している。気づいたら6時になってたときは驚いたなぁ。って、特にオチが無い話なので若干話題を変えつつそのまま続けるけども、子供が生まれてからはあまり写真を撮らなくなった。もっぱら動画撮影が主で、カメラを手にすることは無くなった。ただ数分前に気づいたことなんだけど、子供が生まれる前にレンズを買ったのよ。子供を撮るのに適しているであろうと思ってZEISS Milvus 2/50Mを買ったの。マクロでボカしつつ撮影したらいい感じになるだろうなーと思って。それをさ、防湿庫にしまったまま放置していたことに気づいたのよお父さん。LeicaのSLにつけることになるからちょっと重いんだけど、レンズ購入時の想いを蘇らせて、張り切って撮影しないとイカンぞなもしと思っている。

日記にアップしている写真

みんな忘れていると思うけど、この日記は写真に関することを書く場所だからさ、今日は正しい使い方をしてみるね。

先日妻が「日記にアップしてる写真、前(にアップした)のと同じだよね?」と言った。そうですそうです、前にアップしたのと同じ写真を使っております。ここんとこは子育てとビョーキとで写真を撮りに行く余裕が無いからさ、過去に撮ったものをPhotoshopで再現像したものをアップしている。今の気分で再現像してるから、使っている画像は同じでも、全く同じものをアップしているわけでは無いのだよ。言ってみれば「リマスター」と同じだよ。CDがさ、再発売されるでしょ、リマスターとか言って。それと同じ。昔の写真を現像しなおしてんのだよ。いや、ちょっと違うかな。違うかも。違うかもしれないけど、「あれ、リマスターだから。」ってちょっとかっこいいからさ、そう思ってくれれば是幸い。
でもね、真面目な話、昔の写真を再現像するとさ、勉強になるよ。と、ここまで書いて唐突にめんどくさくなったからどこが勉強になるのかは書かない。書くのやめた。まぁやってみなされ。さすれば理解できるであろう、皆の衆。他人に聞くより自ら体験する方がインパクト残るしな。特に写真教室のユーたちはレッツトライ。やってみましょう。
最後はルーっぽくなったけど、これにてドロン。さようなら。

だからアートは苦手

あいちトリエンナーレ2019が別の意味で話題になっている。愛知県と名古屋市がお金を出して開催している芸術祭とのことだけれど、そこには慰安婦像と呼ばれている像が置かれていたり、昭和天皇の写真が焼かれる映像が流されていたり、安倍首相と菅官房長官の口にハイヒールのヒールの部分が突っ込まれた造形物の展示がされている(いた?)そうで。あいちトリエンナーレの事務局の話によると、それら展示物はいずれも芸術作品であり、表現の自由の範囲内のものであるとのこと。ただ気になるのは、それら展示物が置かれたエリア「だけ」は、そこで撮影された写真や動画をSNS上にアップする行為は禁止されているそうで。作者の表現の自由は許すものの、それを見た人の表現の自由は許さないというスタンスなのか。であれば「あっちの人が言うのはいいけどこっちの人が言うのはダメ」というヘイトスピーチの構図と何ら変わらないように思える。要は偏っているということ。それってアートなの?
ここのところ僕の周りではいろいろなことが起きているのでお休みをしているけれど、僕はカメラを使った作品づくりをしている。僕が表現したいものをカメラを使って表現している。そもそもこの日記もその一部だしな。そしてゆくゆくは、自分でギャラリーを作って僕の仲間たちの展示に活用していただいたり、自分の作品を展示するために使いたいと思っている。ギャラリーをお借りして展示させていただくのでは無く自前でギャラリーを持ちたいと思うようになったのは、所謂「アート」の世界にいる人や「アーティスト」と名乗っている方々のことが苦手だから。そういう人たちとの接触をなるべく少なくして、気持ちのいい展示がしたいと思えたからだ。全員が全員で無いことは言うまでも無いけれど、アートだと言えば何を表現してもいいし、何を言っても許されると思っている人がいる。その方々の思想が、僕が持つ常識とは相いれない。もし僕の家族の写真が焼かれてそれを不特定多数の方々に見せつけるように映像として流されたとしたら、少なくとも嫌な気持ちになるだろう。それをアートだと言われても、表現の自由だと言われても、いかがなものかとしか思えない。疑念しか湧かない。僕が知っているアートとは、そんな程度の低いものでは無い。人の心を良くも悪くも簡単に揺さぶることができるようなテーマやモチーフを選んでいる時点で、程度のほどを感じてしまう。
アートをプロバカンダの道具にしてはならない。アートとは、人の心を豊かにするものであってほしい。

【2019年8月5日追記】
「安倍首相と菅官房長官の口にハイヒールのヒールの部分が突っ込まれた造形物の展示」はされていなかったことが確認できました。この追記にて訂正します。