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だからアートは苦手

あいちトリエンナーレ2019が別の意味で話題になっている。愛知県と名古屋市がお金を出して開催している芸術祭とのことだけれど、そこには慰安婦像と呼ばれている像が置かれていたり、昭和天皇の写真が焼かれる映像が流されていたり、安倍首相と菅官房長官の口にハイヒールのヒールの部分が突っ込まれた造形物の展示がされている(いた?)そうで。あいちトリエンナーレの事務局の話によると、それら展示物はいずれも芸術作品であり、表現の自由の範囲内のものであるとのこと。ただ気になるのは、それら展示物が置かれたエリア「だけ」は、そこで撮影された写真や動画をSNS上にアップする行為は禁止されているそうで。作者の表現の自由は許すものの、それを見た人の表現の自由は許さないというスタンスなのか。であれば「あっちの人が言うのはいいけどこっちの人が言うのはダメ」というヘイトスピーチの構図と何ら変わらないように思える。要は偏っているということ。それってアートなの?
ここのところ僕の周りではいろいろなことが起きているのでお休みをしているけれど、僕はカメラを使った作品づくりをしている。僕が表現したいものをカメラを使って表現している。そもそもこの日記もその一部だしな。そしてゆくゆくは、自分でギャラリーを作って僕の仲間たちの展示に活用していただいたり、自分の作品を展示するために使いたいと思っている。ギャラリーをお借りして展示させていただくのでは無く自前でギャラリーを持ちたいと思うようになったのは、所謂「アート」の世界にいる人や「アーティスト」と名乗っている方々のことが苦手だから。そういう人たちとの接触をなるべく少なくして、気持ちのいい展示がしたいと思えたからだ。全員が全員で無いことは言うまでも無いけれど、アートだと言えば何を表現してもいいし、何を言っても許されると思っている人がいる。その方々の思想が、僕が持つ常識とは相いれない。もし僕の家族の写真が焼かれてそれを不特定多数の方々に見せつけるように映像として流されたとしたら、少なくとも嫌な気持ちになるだろう。それをアートだと言われても、表現の自由だと言われても、いかがなものかとしか思えない。疑念しか湧かない。僕が知っているアートとは、そんな程度の低いものでは無い。人の心を良くも悪くも簡単に揺さぶることができるようなテーマやモチーフを選んでいる時点で、程度のほどを感じてしまう。
アートをプロバカンダの道具にしてはならない。アートとは、人の心を豊かにするものであってほしい。

【2019年8月5日追記】
「安倍首相と菅官房長官の口にハイヒールのヒールの部分が突っ込まれた造形物の展示」はされていなかったことが確認できました。この追記にて訂正します。

トリミング

ポスターやカレンダーを筒状に丸めるとき、人はどんな方法をとるのだろう。思うに、適当に丸めてからはみ出た部分を机の上でトントンして整える人が多いのではなかろうかと。それが一番早いだろうから僕もそれでいいと思うんだけど、幼少期に「右端と左端をよく見て、ゆっくり丸めていく…。ほら、曲がってる!!」と祖父に怒られながらカレンダーの丸めかたの教育を受けた僕としては、このご時世であっても、撮影した写真のトリミングはおこなわない。撮影時に被写体の位置を確認して、四隅をじっくりと確認してからシャッターを切る。連射なんてものも使わないし、そもそも一発で決めようとしてるから撮影枚数が少ない。時代に逆行しているようにも思えるけれど、あの祖父に鍛えられたからなのか何なのか、こんな性格になってしまった。そしてその性格を気に入っている。なので僕には高性能なカメラは必要無い。視野率が100%なら充分。動く被写体なんて興味無い。というか撮れない。その場から動かずにじっとしていてくれるものでなければ撮れない。その動かずにじっとしているものがさ、時代の流れに取り残されているのに満足してる僕みたいでさ、結局作品には自分(が持っているもの)しか表れないというさ、何年か前に僕が勝手に出した結論に行く着くわけで、面白いなというか何というか、どんだけ自分が好きなんだよと思う。自分を撮り続けてるようなものだからね。

リセット

仮に、「はい、あなたいまゼロ。無です。仕事も交友関係も何もかもリセットされました。明日のことを心配する必要もありません。自由です。フリーです。お金を稼ぐ必要もありません。何かに追われていることもありません。誰かの面倒をみる必要もありません。完全に自由です。好きなことをしていいです。さて、明日から何をしますか?」と問われたならば、夜明け前の波打ち際を撮りに行くような気がする。

レンズがいいから?

昨日、多摩川沿いで妻の写真を撮った。家に帰ってからパソコンで確認をしてみたら、僕が撮ったにしてはとても良い雰囲気で撮れていた。妻からはお褒めの言葉をいただき、それに対して「レンズがいいからなぁ。」と返したけれど、そこは「被写体がいいからだね。」と答えるべきだったことに気が付いた。いま。でもまぁ、レンズの性能を引き出す撮り方をするのは大事だよなとは思う。そこは間違って無い(笑)。

過去との対話

ここのところ表に出せる写真は撮っていないので、この日記に乗せる写真も過去に撮ったものをアップすることが多くなってきた。ただし過去のものをアップする際には、そのままアップするのでは無く、Photoshopで現像しなおしたものをアップするようにしている。今の自分ならどう現像するか、素直な気持ちを大切に、深く考えること無く、心のままに手を動かしている。
これはかっこよく言えば「過去の自分との対話」なんだけど、そもそもそんなに考えて撮って無えしな(笑)。ただまぁ、何年も前に撮ったものを時間を置いてから現像するってのは、勉強にはなると思う。過去に撮ったものと違ったものとなったとしても、同じものができあがったとしても、そこから見えてくるものってあるだろうからな。