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ピント


撮った写真を見るたびに、ピントなんて合ってなくてよかったのにと思う。僕は露出もピントもマニュアルで撮ってるんだけど、それでもピントを合わせてしまうところがアレだよね、僕のなかにある何らかが作用してるんだろうね。真面目な部分なのか、何なのかが。

最近のカメラは凄いよね。数秒程度のシャッタースピードであれば、手ぶれ補正機能でぶれを抑えちゃうんだって。ピントだって1秒かからずに合わせちゃう。以前、ポートフォリオレビューに参加させていただいた際に偉い先生が「こういうの、見たことあるんだよなー。僕が見すぎちゃってるのかなぁ。」と仰っていたけれど、その考え方を正とするのであれば、これからの写真家はピントが合っていなくて手ぶれした写真を撮るといいのかもしれないよね。カメラの進化とともに、そんな写真、なかなか見かけなくなるんだろうから。

スナップ

久しぶりに外で写真を撮った。前回のデータのログを見る限り、約2カ月ぶりの撮影らしい。
久しぶりに写真を撮ることの良い点は、写真って楽しいなと思えるところ。悪い点は、撮り方が分からなくなっているところ。 ただその悪いところにも良いところがあって、前回の撮影から時間が空いてるからこそ、前回の写真に引っ張られづらいところはいいところだと思う。リセットできる。「カメラ(というかレンズだな)ってこんなに重かったっけ?」と思えるところは悪いところだろうか。どうだろう。

スナップ(写真)の場合、被写体を見つけてから撮影を完了させるまでの時間は10秒くらいかな。いや、3秒くらいだろうか。カウントしたことは無いから分からんけど、体感としては10秒くらいだと思うんだよな。撮影したデータをパソコンで現像するのにもあまり時間はかけてなくて、Camera Rawを使って、1枚あたり1分もかかっていないと思う。もうね、感覚の世界。

僕はスナップを作品にすることは無いからさ、とても気楽に撮っている。気楽に撮っているから楽しいのかもしれない。これが作品づくりとなると、あえて稀勢の里関風に言わせてもらうと「 一片の悔いもございません 」と言えるほどに追い込むことになる。結果、満足はするけれど、楽しいかと言われるとよく分からん。とにかく自己満足。自分のことしか見ていない。ただ、見てくれる方々のことを思うと、もしかすると僕にとってのスナップのように、作者が楽しんで撮影をしたものを見た方が満足度は高いのかもしれないね。知らんけど。

ってことで、あと数日は多摩川近辺で撮影をした写真が続きまーす。

波打ち際とヒーリング

波打ち際は、魂が行きかう場所だと思っている。
今から3~4年ほど前に、エプサイトさんで波打ち際で撮影をした写真をつかった作品を展示させていただいたことがあった。作品について質問をいただくことがあって、その際に前述のような説明をさせていただくと、なかには怒りだす人もいた。なぜ怒りだすのかと言えば、魂やらあの世やらそのあたりの話はどちらかと言えば「陰」であり、死を連想させるからかもしれない。僕は子供の頃から未知のものに触れる機会があったので、体験はもちろんのこと、本屋さんに行って自分で調べたり、「この人は」と思える方にご教授いただく機会にも恵まれた。それにより自分なりの死生観が確立されているので、死は怖いものだとは思わないし、あの世や魂も特別なものだったり未知のものとも思っていない。そもそものところ、なぜ人は海岸に集まるのか、山に登るのか、そのあたりのことを多角的に考察してみるといろいろと見えてくるものがあるんじゃないの?と思っている。

そういえば、舌癌での入院中、口内に溢れる粘液が突然止まったというようなことをいつかの日記に書いた。実はあれは自然に止まったのでは無くて、自分で止めた。粘液への対応が辛かったので、自分で自分に5分ほどヒーリングをしたら粘液が出なくなった。その後のことはその日の日記に書いた通り。

波打ち際のこともヒーリングのことも、僕にとっての真実なだけであって、それを皆に信じてもらいたいとか、仲間を増やしたいとか、誰かとこの経験を共有したいなんてことは思っていない。僕の身に起きたことを事実として捉えているだけであって、それ以上でも以下でも無い。

写真教室

そういえば、今年から写真教室をお休みしている。通い始めたのが2003年だか2004年で、途中で6~7年ほどお休みをして、6~7年ほど前に復活をしたんだと思うけど、その写真教室を昨年末をもってお休みをいただくことにした。写真が嫌いになったとか、通うのがめんどくさくなったとか、クラスメイトが気に食わないとか、オレ様には教室なんてものは必要無いとかそういうことでは無い。同じような目標に向かって刺激しあい切磋琢磨しあえる仲間がいるのは有難いことで、誰の目も届かないところでは手を抜くことが常習である僕からすると、そんな仲間たちと同じ時を過ごせないのは怖いこと。マイナスでしか無い。なのでまた、然るべき時期に復活をさせていただくつもりでいる。それまでに作品のひとつやふたつ、見せられるようにしておかないと。

「弘法筆を選ばず」と言うけれど

「弘法筆を選ばず」と言うけれど、先日テレビで見たのは、筆作りの職人さんが作った筆はフツーの筆とは全く違うということ。筆先で墨をふくむ量が全く違う。フツーの筆で何度か墨をつけて書いた文字も、一筆で書くことができる。だから弘法も職人さんが作った筆を使った方がいいと思う。
ということで、僕は僕でレンズを注文した。道具は大事。それぞれに特徴があるからね。おわり。