お化けの見え方

20130628

久しぶりにおかしな話をしてみましょう。今日ももちろんこの写真とは全く関係の無い話です。

みなさん、お化け(幽霊)ってどう見えると思いますか?「足が無い」とか「頭に白い三角形を付けている」なんてことも言いますが、見え方って人によってまちまちなようですよ。
僕の知人である霊能者夫婦が、散歩の途中、過去にある事件が起きた家の前で面白い実験をしました。二人同時に霊視をし、その結果を後で共有してみようというものです。結果として二人とも同じ霊を見たそうですが、その見え方が違っていたそうです。旦那さんには血を流した子供の姿が見え、奥さんにはニコニコ楽しそうにしている子供の姿が見えたとのことです。旦那さんと奥さんの内的要因により違うものが見えているのか、それとも外的要因により違うものを見せられているのかは定かではありませんが、なかなか興味深いお話だったので印象に残っています。

僕が初めてお化けを見たのは中学1年生の頃、細かく描写してしまうと怖くて寝れなくなる方が続出すると思うので避けますが、その中学1年生の頃から24~5歳くらいまでの間は同じような見え方をしていました。白い点描画のような見え方をしていました。白い点がたくさん集まって人間の形を形成しているように見えるのです。点描ですのでもちろん背景が透けてみえます。白くて半透明の人が立っているようなイメージです。それから時は過ぎ、30代以降は人間の形には見えなくなりました。単なる球体です。たぶんエネルギー体だと思うのですが、色のついた球体が空中に浮かんでいる感じです。色はその時々により様々です。おそらく人間(厳密には「元人間」)だけではなく、他のものも球体として目の前に現れているんだろうなぁとは思います。と言うか、目で見ているのではなくて、他の何かを使って見ている感じです。頻繁に見えるわけではありませんので、もしかすると見せられてるのかもしれません。もしくは僕の頭が相当におかしいという可能性も否定できず。

という感じですが、面白かったかな?どうだろう?
面白かったとしたら、次回は霊能者と脳波との関係について書いてみようかな。きちんと実験したんだから。

心の場所

20130603

えー、金曜日は日記をお休みさせていただきました。理由は特に無く、言って見れば「なんとなく」なわけです。ただ休んだことにより、どうやらこの日記を楽しみにしている方もいらっしゃるということが分かりました。休んでみるもんですね、収穫です。しかも、カテゴリーで言うところの「おかしな話」の人気が高いようですので、今日はまたそんなお話をしてみようかと。

僕が常々思うのは「心」ってどこにあるんだろうかってことです。そもそも心ってものは形も無いんだろうし曖昧だよなぁとも思えるのですが、嬉しいとか悲しいとか想ったりとか、感情的なものなのかなぁと思います。
たとえば心が痛むときってだいたい胸のあたりを指しますし、「胸がキュンとする」なんてのも文字通り胸ですよね。では胸に何らかの臓器があるのかというと心なんていう臓器は無いわけで、まぁ心臓と肺くらいですよね。そもそも心って臓器だとは思えないですし。ああそうか、僕らが言ってる心ってのは、目の前に理想通りの女子が現れてドキドキするとか、車にひかれそうになって驚くだとかの何らかの外的要因により血管が膨張するのか収縮するのかなんだか分かりませんが、とにかく通常とは異なる物理的な何らかがおきて、それを神経が感じ取ることによって「心が動いた」的な感覚&解釈のことを指すのかな?なんてことも思わなくも無いのですが、どうにもしっくり来ない。なぜかと言うと、果たして心臓に「記憶」なんて機能あったっけ?と思うからです。
記憶と言えば脳ですよね。となると、目で見てかわいいとか危ないとか、要は過去の記憶ってものを元にして脳内でふるいにかけられた情報が心臓にわたり、そこで状況に応じた血管の膨張や収縮が行われ、その物理的感覚のことを心と言うのかもしれないね、なんてことも思うのですが、そうなるとつじつまが合わなくなって来るのが、肉体が滅びると記憶や心も滅びてしまわないとおかしいでしょってことなのです。ここまで読んでくださった方は「あ、そうだった、これは科学的な話じゃなくて「おかしな話」だったんだ」ってことを思い出したことと思います。よかったよかった。

あのね、一度でも幽霊と接触をしたことのある人であれば分かると思うのですが、既に肉体を持たない人が過去の出来事を記憶しているってのはなぜなのでしょう。輪廻転生を信じている方であればなおさら思いますよね、どうして過去生の記憶があるんだろうって。脳はもう焼いちゃったから無いんですよ。ほら、どうしてだと思います?

僕が思うに、もちろん仮説ですが、脳っておそらく記憶装置と言うよりはコントローラーの役目をしている臓器なんじゃないかと思うのです。手を動かせとか、あっち見ろとか、お腹すいただろうとかそんなコントロール。そもそも臓器ってのは脳に限らず腎臓だろうが筋肉だろうがそれぞれが独自にある種の記憶装置的な役目も果たしているという説もあるので、そういう意味で言うと脳も記憶装置のひとつと言えるのですが、本来の役目はコントローラーではなかろうかと思っています。では記憶ってのはどこに蓄えられるのかと言うと、僕の仮説は2つありまして、まずは1つ目をお伝えするとですね、記憶は肉体が滅びてもストックできる場所、すなわち霊体(幽体?エーテル体?よく分からん)にストックされるのではなかろうかと思うのです。ちょっと語弊があるのですが、イメージとして分かりやすいだろうと思うので言ってみると、オーラです。そのあたりにストックされるんじゃないかなぁなんてことを思うのです。であれば、亡くなった方と過去に関する会話ができるということも頷けます。だって記憶は既に失った肉体ではなく、霊体にストックされてるんですもん。では2つ目。リアルタイムに必要な程度の記憶は臓器の中でも主に脳にストックされ、それ以外の記憶、たとえばあまり頻繁に使わないような過去の記憶なんかは全てあの世(違う次元)にあるパーソナルスペースにストックされているんじゃないかなぁ、なんてことを思います。過去の記憶が必要になったときに無意識にそのスペースにアクセスすることによってその記憶が蘇るようになっているとか。で、亡くなった瞬間に全ての記憶はそのパーソナルスペースに保存されるとか。今で言う「クラウド」みたいなもんですよ。どうよこれ。
このパーソナルスペースの考え方は個人的にはなかなか外していないんじゃないかと思える根拠(実体験)があるのですが、さすがに今日の日記は長すぎるのでまた日を改めて書くか、もしくは気になって夜も眠れないというようであれば、僕と会ったときに聞いてみてください。ここまで書いてアレですが、実は「心の動きって、要はチャクラの動きだよね」なんてことを思っていたりもしますので(笑)。

呼吸と潜在意識

20130523

顕在意識と潜在意識について、潜在意識と脳波について、そして脳波と呼吸の関係についてを捧腹絶倒な感じで書いてやんべぇと思っていたのですが、極端にめんどくさくなったために中止です、中止。知りたい人は僕と会ったときに聞いてください。腹がよじれるほどのステキな説明を差し上げます。瞑想やら座禅の意味なんかも分かってくると思います。もしかすると未来もひらけるかもしれません。パワースポットめぐりなんてしている場合じゃーありません(笑)。

ひとつだけ言うと、脳波をアルファやシータあたりまで下げるための簡単な方法は反復運動です。マラソンもいいですし、ガムをかむのもいいですね。機械的に何らかの作業に没頭すると、脳波って下がります。終わり。