水と縁

夜明け前の波打ち際を撮影する理由は、そこに輪廻を感じたから。そこを撮り続けることで人間の一生と言うか人生と言うか、そんなものの全てを見ることができるように思えた。輪廻を感じたのは両足にあたる波の行き来に起因するけれど、実は水がそう感じさせるのかなとか、いや、縁(フチ)なのかもしれないとも思え、その明確な答えはおそらくこの先も見つからないものと思う。水があり、縁があるところ。つまりは海岸であったり川岸であったり湖畔であったり。このあたりは僕のなかでは共通していて、「霊的な何か」を感じさせる傾向にある。本当にそうなのかなんてことはもちろん知らないけれど、何らかの場所なのだろうとは思っている。もしかすると僕のなか(というか多くの日本人の心の中と言った方が正確かもしれないけれど)にある自然への畏怖や畏敬の念がそう感じさせているのかもしれない。

ということで、明日は山に撮影に行ってくる。山奥にある池に行ってくる。水と縁と対話できればなと。