「歌がうまい」

仕事をしながら「モーニング娘。」のブルーレイを見ている。いや、今は日記を書きながらブルーレイを見ている。なので本当は違うことを書こうと思ってたんだけど、以前から思っていた「歌がうまい」ということについて書いてみようと思う。
「この人は歌がうまい」と聞かされてネットでチェックをしてみると「そうでもないな」と思えることがある。逆もまたしかりで、僕が「この人は歌がうまいな」と思っている人はさほど評価されていなかったりする。僕ね、思うのよ。一口に「歌がうまい」と言ってもそこに含まれる要素はいろいろでさ、「音程が上手にとれる」とか「リズムの取り方が抜群だ」とか「声量が」とか「声がいい」なんかが挙げられるんだと思うのよね。んで「歌がうまい」ってのはそれら全てをひっくるめたうえで出てくるものだと思うの、一般的には。あれ?同じこと二度言った?言ってない?ブルーレイ見ながら書いてるからちょっとアレだな、集中力が欠けてるな。よく分からんけどこのまま行こう。何が言いたいのかというと、「歌がうまい」の基準って人それぞれだよねということだ。僕は「声がいい」ってのは「歌がうまい」ってのとは関係が無いもので、あくまでもそれに付加されるものであり、「好み」だと思っている。声ってのは変えようと思って変えられるもんでも無いからな。僕が玉置浩二の声になりたいと思っても無理でしょ。だからそれは努力とは違うところにあるものだと思うので、僕のなかでは除外されるのよね。僕がまだ小学生の頃、「ザ・ベストテン」だか「トップテン」だかであるハスキーボイスの男性歌手のことを「海に向かって歌い続けていたらハスキーボイスになったそうです。」と紹介していて驚いたけど、それはまた特殊なケースだと思う。話を戻すと、「声がいい」ってのは一般的には「歌がうまい」に含まれる要素のひとつではあると思うけど、僕はちょっと違うかなと思っている。売れる要素だしかなり重要なものだとは思うけど。あくまでも「努力で築き上げることができるもの」に上乗せされるものだと思っている。平たく言えば「天から授かったもの」。
歌に限ったことじゃないけどさ、世の中に「うまい人」ってのはたくさんいるわけだ。でもその全ての人が脚光を浴びているわけでは無いよね。それがさ、いかに「それに付加される要素が大切か」ってことを物語ってると思うのだ。うまければ売れるわけでは無い。逆に「声がいいだけ」って人もいるけどね。
それとさ、アイドルグループって不利だよね。フツーはヴォーカルの声質に合わせて曲の高さ、つまりは音程を決めると思うんだけど、アイドルグループだとそれって難しいもんね。グループのイメージもあるし、全員の声質に合う音程の曲を作るなんて難しそうだし。曲ありきで「はい、これを歌ってください。」って言われるんだろうから大変だよな。という推測。

ブルーレイを見ながら支離滅裂な文章ができあがったところでドロンします。さようなら。