死ぬこと、生きること

今日は一日中病院だった。午前中に造影剤を使ったCTを撮って、午後はその結果を元とした診察だった。結果、転移等は見当たらなかった。順調みたい。よかった。今回は頸部リンパ節郭清術の手術をしてから初めてのCTだったので、もしかしたら何かが見つかるかもしれないと思っていた。術後すぐに何かが見つかることって少なく無いみたいだからさ、それが無かったとのことで安心した。

僕は死は怖いものでは無く単にあの世へ帰るだけのことだと思っているので、なんつーか「そうなったらしゃーない」くらいのものとして捉えてきた。悔いの無い日々を過ごしているので、いつそうなってもいいかなと。でも2016年に再婚をして、今年の春には子供ができて、つまりは僕が愛する対象が増えたということなんだけど、それにより、可能な限りは長生きをしたいと思うようになった。そう、長生きをしたいと思うようになったんだな僕はと思ってたんだけど、今日を迎えるまでの数日間、実は癌が再発したり転移したりすることへの恐怖を感じていた。怖かったのよ、今日のことが。これってどういうことかと言うと、死にたく無いと思ってたってことなのよ。「長生きしたいな」どころじゃなく、いつの間にか「死にたく無い」と思うようになったみたい。なぜそう思うようになったのかを病院から帰る電車の中で考えてみたんだけど、おそらくは、我が子に対しては「一人前にしてやるまでは」との想いがあって、妻に対しては「まだまだ一緒にいろんな経験をしたい」って想いがあるみたいなんだよね。それまでは死ねないぞということでは無く、死にたく無いぞということなのよ。共に生きていきたいの。
共に生き続けて何をしたいのかって、特別なことなんて必要無いの。一緒にお皿を洗ったり、お散歩に出かけたり、風の気持ちよさを分かち合ったりとか、そんなことをしたいのよ。そんな日々をさ、まだまだたくさん経験したいなと思って。

死に対する解釈、つまりは怖いものでは無くあちらの世界に帰るだけって考えは変わらないけれど、なんていうのかな、生きることについて本気になりつつあるとでもいうのかな。どうもこううまく言えないんだけど、生きるとか死ぬとか、それらの重みが僕のなかで変わりつつあるのかもしれない。
「生きている」っていいよね。