補助金の全額不交付に思う

このテの話は足を突っ込むとロクなことが無いのであまりしたくは無いんだけど、なんつーか、さすがにちょっとなぁと思えるので少しだけ書くよ。

連日とは言わないけれど、頻繁に目にするこの話題。あいちトリエンナーレ2019の企画展である「表現の不自由展・その後」に関することね。その補助金を払う払わないってことについて。
主催する愛知県から文化庁に補助金の申請をしていたけれど、その手続き上の不備を理由に文化庁はその全額の不交付を決めたんだって。これって当たり前のことだよね。どこの世界に不備があることを承知で国民の血税をつぎ込む人間がいるのさ。朝日新聞デジタルが今日の8:30に配信した記事(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190927-00000009-asahi-soci)からそのまんま引用させていただくけども、「芸術祭の津田大介芸術監督は朝日新聞の取材に、文化庁の補助金交付決定は通常1年以上前で、決定時点で作品内容などは決まっていないことが多いと反論。「事後的に交付決定を覆されたら、企画内容に強烈な自粛効果が生まれる。事後検閲的な効果が強いという点でも、手続き論的にも問題の多い決定」とコメントした。」だって。1年以上前って事前に知ってるんだったら、それに沿って動かないとダメでしょ。それが難しいのであれば事前にその旨の協議をして許可を受けたうえで、変更点が出た場合は速やかに報告すればいいだけの話では?それやったのかな?写真の個展も似たようなもんだけど、みんなきちんと手続きしてるよ?自分の落ち度やら怠慢やらを棚にあげて「制度が悪い」やら「法律が悪い」やら「国が悪い」なんてことを言う人がいるけれど、その考え方って、社会人としていかがなものなのかな?と日頃から思っている。

で、補助金の話からは少し外れるけれど、この「表現の不自由展・その後」に関わる一連のゴタゴタを見ていて残念に感じたのは、この件で、僕とアートとの溝がさらに深まったなということ。アートって、僕のようにそれを勉強していない人間からすると、「詳しくは知らないけれど見ていると気持ちがいいもの」のような感覚なんだよね。平たく言うと「よく知らんけど興味はあるもの」なのかなと。「この作品はほにゃららの時代にほにゃららの影響を受けた作者がどうたらこうたら…」なんて説明を受けても分からんし、そんなこと言われるとそれを知らん自分は見る資格は無いのかもしれないな、なんてことを思いながらも興味は持ってるんだけど、今回の件で、アートって…というか、自称アーティストって、本当にくだらないものなんだなと思えた。以前の日記にも書いたけど、政治的なものだろうが何だろうが、それを作品として昇華させられたものであれば「アートだわ」と思えるんだけど、人さまの写真を焼いて足で踏みつける映像のどこがアートなのかと思うもの。嫌な気分しか残らないよ。たとえそれが僕が嫌いな人物の写真であったとしても、そんなの気分悪いわ。
「アーティスト」と自称する人って多いけど、それって自分で言うもんじゃ無く、周りに認めてもらうもんなんじゃねぇのかな?とも思える。単なる自慰行為中の人とアーティストとの差って大きいと思う。