家族

先週の金曜日(正確には木曜日の夜)から発作が出ていた痛風は、この三連休の間にかなりよくなった。靴選びを間違えさえしなければ、まずまずスムーズに歩くことができる。僕は痛風歴20年だけど、ここまで早く回復したのは初めてのこと。手術と痛風のダブルパンチはちょっとアレなので、早々に痛みが引いてよかった。

手術で切った患部周辺は少しづつ感覚が戻ってきていて、指先で触れると触れている場所が分かるようになってきた。押されている感覚がある。それとともに、切った周辺にじんじんとした痛みというかなんつーか、じんじんとした感覚が出るようになった。神経が回復してきてるのかな。知らんけど。神経で言えば面白いのは、手を洗うと首から耳あたりまでに冷たさを感じること。手を水で濡らすでしょ?そうすると、濡れた瞬間に患部周辺に冷たさを感じるのよ。手と首なんて離れてるのに。なんだろうね、これ。後遺症と言えば後遺症なのかな。ま、そのうち無くなるような気もするけどな。

日曜日と月曜日(祝日)は車で妻の実家に行った。久しぶりに妻と我が子に会った。我が子はまだ生まれてから1カ月半しか経っていないけど、ずいぶん身体が大きくなった。ほっぺたの丸みと太もものムチムチは凄い。僕の左肩は手術の後遺症で上げづらくなっているけれど、子供を抱っこするには問題無かった。その点はよかったな。

自宅に帰ると当然ひとりなわけで、テレビをつけてもさほど面白い番組がやっているわけでも無く、では録画してあるものを見ようと思っても、さほど心は踊らない。あれほど好きだった番組だけれど、今ではブルーレイのハードディスクに溜まりまくっている。なんでかなってことを考えてみると、僕はその番組そのものが好きだったってわけでは無く、その番組を妻と共に見ることに楽しさを感じてたんだってことが分かる。僕は家族は一緒にいるべきと思っていて、どこへ行くにも、何をするにも、共に喜び、楽しみ、分かち合うものだと思っている。なんだろう、言葉では「~すべき」って言ってるけど、そういう義務的なものでは無く、なんつーか、どうもこうしっくり来る言葉が見当たらないのでうまく表現はできないけれど、家族とは、物理的にはそれぞれ別の個体ではあるけれど、エネルギーとしてはひとつのものであるという感覚がある。だから常に心というか、それを包み込むエネルギーは共にあるもので、それは今の僕らのように物理的には離れた場所にあったとしても、ずっとつながっているものだと思う。でもやはりそこは人間だから、心だけでは無く、物理的にも共にありたいなと思う。共にあることで、これから経験することが何倍にもなって僕らの糧になるような気がして。

5月の下旬あたりからはじまった僕の一人暮らしも、来月あたりには終わりになるのかな。二人が一人になり、そして三人になる。なんだか面白いな。