突き抜ける

2~3週間ほど前、家の近所の公民館的な施設で、笑顔が凄いお兄さんに出会った。言い方はとても申し訳無いんだけど「この人はちょっとアレなのかな?」と、つい疑いの目で見てしまうほどにすんごい笑顔なの。数分間話しをしたところで「この人は心からの笑顔を見せてくれてるんだな」ということにようやく気付けた。言うなれば、僕らを悪の道に引きずり込むための作られた笑顔では無く、邪念の無い純粋な心を持った優しいお兄さんだったということ。疑ってごめんね、お兄さん。
そのお兄さんとの愛のキャッチボール体験を終え、ああいう、何て言えばいいのか、自分の心をオブラートに包むこと無く外に向かって開放するって大事なことだなと思えた。それでこそ「我、そこに有り」だもんな。あ、これは今僕が作った言葉だから気にしないでほしいんだけど、要は周りの目を気にすること無く自分の長所を素直に外に出せているということであり、なんつーか、自分を生きている感があるよなと。昔から僕は複数の指導者から「手を抜いている」と言われる人生を送ってきておりましてね、自分としてはそんなつもりは無いんだけど、そうは言っても火事場のクソ力的な超人的なパワーを放出できることも稀にはあるからさ、おそらくはこれまでの指導者の方々が仰ったことは正しいんだろうなとちょっとだけ思っている。あれ?話がズレたかな?いや、ズレてない。要は何が言いたいのかと言うと、人それぞれ一長一短あるけれど、「長」の部分については周りに合わせること無く存分に発揮しちゃっていいんだよなということを、笑顔の凄いお兄さんに教えられた気がするんだよね、という話だよ。みんな遠慮してないで、たけのこみたいにグングン伸びちゃえばいいんだよっつーことだ。おわり。