僕とヒーリング

数か月前、少々事情がありまして、以前おこなっていたスピリチュアルカウンセリングのクライアントさんとお会いした。お昼ごはんを食べながら昔話なども出るなかで、当時、僕のカウンセリングを受けたいと思えたきっかけは、僕がホームページに書いていた日記を読んで「この人なら大丈夫そうだ」と思えたからだと仰っていた。スピリチュアルなんてものは怪しさ満載だと思っていたけれど、この人は普通の感覚を持っていそうだから大丈夫だと思えたそうだ。で、昨日、以前公開していたホームページの残骸を見つけるべく古いNASを起動して、それらしきものを見つけた。日記というかコラムだね。書いてたね、こんなこと。ヒーリングやリーディングの技術を提供するにあたり、そもそも僕が何者でどんなことを考えているのかということを公にしておく必要があると思えたので書いたものだった。それを写真の話題を中心にすると宣言しているこの日記に載せるのもどうかと思うけど、毎度のことながら書きたいことも無いので以下にコピペすることにする。誤字もあるけどそのままで。激烈に長いので週末にでも読んでみてちょうだい。お目汚し。

本来、コラムとはこういうものでは無いと思う。けれど、「どこの誰にヒーリングを受けているのか」ということを知っていただくことはとても大切なことだと思うので、まずは僕がヒーリングをするようになったきっかけや経緯を知っておいていただきたいと思う。
これから数回に分けて、僕とヒーリングとのことを書きたいと思う。「私のヒーリングについて」という限られたスペースでは、書ききれないこともたくさんあるので。

■ヒーリングとの出会い

僕とヒーリングとの出会いは唐突なものだった。

かれこれ7~8年ほど前に遡る。当時、僕はWebやDTPなどを教える「マルチメディアスクール」でWebデザインという講義を担当していた。1コマ5時間の講義を、1日に1~2コマ担当させて頂いていた。通ってくる生徒さんたちのほとんどが「転職」という大きな希望を持っており、言ってみれば「人生の転機」にある方々と時間を共有していたことになる。それだけに責任は重大だし、やりがいもあった。

5時間もの長丁場の講義の終了後、僕とアシスタントさんとで食事をしてから帰ることが多かった。駅の近くの居酒屋に行くこともあれば、帰り道にあるファミリーレストランに行くこともあった。
ある日、いつものように食事をしていると、なぜだか僕の左手が熱くなっていることに気づいた。具体的には左腕の肘から手のひらにかけて熱くなっていた。右手とは比べものにならないほど、その差は歴然としていた。僕はすぐに「気功だ」と思った。もちろん気功など習ったことは無いし、テレビでしか見たことは無いけれど、なぜか気功に違いない思った。今、どうして、気功ができる必要があるのかなんて分からない。でも、それは確かなものに思えた。
目の前にいるアシスタントさんに「ちょっと手を貸して」と言い、差し出された右手の手のひらを上に向け、その中心に向かって左手の人差し指をかざしてみた。「わっ、何これ、しびれる!」と言われた。そのしびれは熱さを伴うもので、手のひらから四肢の先まで瞬時に伝わったと言う。しびれと熱さが、全身を覆った。

それから数年が経ち、そんな出来事も忘れかけてきた頃、僕の部下が少し興奮しながらこんなことを言ってきた。
「先生(スクール繋がりの部下なのでこう呼ばれている)、渋谷に本物の霊能者がいるよ!HとKが行ってきたみたいなんだけど、過去のこととか体調のこととかズバズバ当てられたって!」
霊能者か。本物ということであれば一度お会いしてみたいとは思ったが、当時の僕にはお会いする理由は無かったので、話半分で聞き流していた。けれど状況はいろいろと動くもので、その話を聞いてからちょうど1年が経とうとしていた頃、僕は仕事上の問題で分岐点に立たされることになった。右へ行くか左へ行くか、その選択により大きな差が出るであろうことは薄々感づいていた。どうすべきか迷っていたところに、1年前に部下が言っていた霊能者のことが頭をよぎった。すぐに部下に連絡を取り、霊能者の電話番号を教えてもらった。電話をすると、たまたま僕が希望する時間帯にキャンセルが出たとのことで、すぐに予約を入れることとなった。

ある土曜日の昼下がり、僕はその霊能者の事務所を訪れた。生まれて初めての「霊能者」との対面だったので、少し興奮していたのを覚えている。
リーディングを通して、僕は部下の言っていたことを信用せざるを得なかった。詳細は省くが、確かに本物としか思えなかった。これは本当に、驚きの体験だった。
その霊能者は、リーディングの他にヒーリングも行っていた。さらに「ギフトのある方にはヒーリングを教えます」というスタンスでもあった。かなりドキドキしたものの、「僕にはギフトがありますか?」と聞いてみた。すると真面目な顔で「あなたできますよ。ギフトありますよ。」とおっしゃった。
それから約1ヵ月後に、僕はその霊能者にヒーリングのやり方を教えていただいた。やり方と言うよりは「コツ」と言った方がいいのかもしれない。今だからこそ分かることなのだが、ヒーリングの手法とは、皆一様というわけには行かない。自分で経験を積むことによって、独自の方法を編み出して行くものだ。それはとても自然なことであり、必然とも言える。
コツを教えていただいてから5年ほど経過すると思うが、今でのそのコツは僕のヒーリングに生きている。僕のオリジナルという「ガワ」の中身は、その霊能者に教えていただいた「コツ」が鎮座している。僕のヒーリングの始まりは、その「コツ」との出会いだったと思う。

■初めてのヒーリング

霊能者にヒーリングのコツを教えてもらい、その興奮のまま、帰宅後に妻にヒーリングをしてみた。すると妻は「何も分からない」と言う。「おかしいな」と思い、何度かヒーリングをしてみるも、やはり分からないらしい。これにはショックだった。おかげでヒーリングのコツを教えてもらったからすぐに、僕はヒーリングをやらなくなってしまった。

それから約1年後、きっかけについては忘れてしまったが、せっかくコツを教えていただいたヒーリングをやらないのはもったいないと思うようになった。もしかするともっといろいろな人にヒーリングをすれば、いろいろと見えてくるものがあるのではないか、そう思うようになった。
変人だと思われるのを覚悟で、まずは部下達に「自分はヒーリングができる」ということを告白した。所謂「カミングアウト」というやつだ。そして後戻りできないように、整体用の高価なベッドを事務所に置き、コツを教えていただいた霊能者には「僕はこれからヒーリングをして生きて行きます。目標はあなたです。」という内容のメールを送った。霊能者はすぐに返信をくれた。「僕なんてすぐに追い越されるでしょう。」という激励のメールだった。そしてヒーリング用として、リクライニングソファを送ってくれた。これには驚いた。送っていただいたソファは自宅でのヒーリング用として、ありがたく使わせていただくことにした。
平日は事務所、土曜日は自宅の一室でヒーリングをすることにした。これで本当に後戻りはできなくなった。

事務所にベッドが届いてからは、部下達にヒーリングをさせてもらうようになった。部下のひとりがちょうど気管支に問題を抱えていたので、喉を中心にヒーリングをした。喉へのヒーリングの仕方など分からないので、言ってみれば「適当」にヒーリングをしてみた。
数十分後、喉の痛みが取れたと言うではないか。やっている自分でも信じられないのだが、そう言われたので、なんだか恥ずかしさに似た感覚を覚えた。部下が暗示にでもかかっているのではないかとさえ思った。
その後も部下や事務所に遊びにくる関係者たちに何度かヒーリングをさせていただき、少し自信を付け、いよいよ今度は友人たち全般にカミングアウトをすることにした。

友人達へのカミングアウトにはmixiを使った。とても簡単な説明用のホームページを作成し、mixiの日記からそのホームページへと誘導させた。ヒーリングができるだなんてことを言ったら、それこそ縁を切られることもあるだろうと思っていたが、自分が思うほどに大きな問題では無かったようだ。好意的な友人達はすぐにリアクションを返してくれるし、そうでない友人達からは何のアクションも起きなかった。ただそれだけのことだった。
友人の中には何人か切実な思いを持っている者がいることが分かった。すぐにでもヒーリングをして欲しいと言われた。

記念すべき(と言うと悪いけれど)友人でのクライアント第一号は、膝の腱を伸ばしてしまい、まともに歩くことができない状態だった。部下へのヒーリングの時と同様、膝へのヒーリングの仕方など分からなかったので、今度も適当にヒーリングをすることにした。まずはリラックスした体勢になってもらい、その体勢のまま、両手で膝を包み込むような形でヒーリングをしてみた。遠いところからわざわざ足を運んで頂いたのだから、それこそ神にも祈るように集中してヒーリングをした。
ヒーリングを続けながら彼の方に視線をやると、彼の身体の周りにとても小さな「キラキラ」が見えた。「なんだろう」と思っていたら、突然彼の左側に「ビカッ!」ととても大きな輝きが見えた。その輝きは言葉ではとても表現できないような、大きく、美しく、力強い光で、例えるならば直径10cmくらいの大きなダイヤモンドの後ろから、とても強くて白い光をあてたようなものだった。眩しいのだが眩しくない、何とも表現のしようの無い美しい光だった。その光を見た瞬間、僕は彼の膝が治ると確信した。

驚きの体験をした数分後、僕はヒーリングを終了させた。終了させるタイミングなど分からないが、なんとなく「終了」と思える時に終了させてみた。彼に立ち上がってみるように伝えた。恐る恐る立ち上がった彼は「あれ?」と言った。「痛くない!全然痛くない!」僕の目の前で彼は、腱が伸びているはずの足を、ガンガンと床に踏みつけた。やはり僕には信じられなかったが、あの光が僕の目の前に現れたことを考えると、彼の膝の痛みは取れたのだと思わざるを得なかった。
それから数ヶ月経って彼と再会をした時、今では毎週のようにフットサルをしていると教えてくれた。うれしそうだった。

■様々な体験

友人・知人たちへのヒーリングを経て、約1年後には広く一般の方々へのヒーリングを開始した。これと言って特別な宣伝活動などは行っていなかったが、ホームページを通して、ほぼ毎日のようにご予約を頂いた。

ヒーリングにはいろいろな方にお越しいただいた。肩や腰の痛みなどはもちろん、スピリチュアルに興味を持っている方、レイキヒーリングをされている方、「私にはマリアがついている」という方など。そんな方々へのヒーリングを通して、僕は多くのことを学ばせていただいた。精神的なマイナス要素は肝臓に溜まりやすいこと、ご本人の申告とは異なるところに原因が潜んでいること、医学的に原因不明と言われる病にはきちんとした原因があること、快方に向かう病とそうでない病があること、など。そして不思議なことに「今月は肩こりの方、その翌月は精神的に参っている方」のように、同じ悩みを持った方々がまとまった時期にいらしていることに気づいた。それはあたかも、僕に無理をさせないように、少しづつステップを踏ませてくれているかのようだった。見えない力により、自分のレベルにあったヒーリングをさせて頂いていたのだと思えて仕方が無い。

今でもまだまだ勉強中であり、その勉強は一体いつになったら終わるのかと思うくらいに膨大なものだが、その経験が僕にとって必要不可欠なものであることも知っている。嫌な目や怖い目にあうことも少なくないが、それでもヒーリングを続けているのは、きっと僕にとって必要なものだからだろう。だからこそやりがいのあるものだし、これからも続けて行きたいと思っている。

ひらめいた

今から15分ほど前にひらめいたことをメモ代わりに書いてしまうと、歳をとるにつれめんどくさいことを言う人が増えてくるけれど、それはもしかすると「死に近づいているから」ということが言えるのではなかろうかと思えた。具体的に言うと、人間とは霊体と肉体とで構成されているじゃないですか。肉体があることで、霊体、つまりはその人の心の部分と言ってもいいかもしれないけれど、その心の部分が100%は外に出ないようになっているわけですよ。肉体によっていくらか防御されているというか、全てが表には出ないようになっている。で、肉体と霊体とが完璧に離れてしまうと、つまりは死んでしまうとということだけど、その人の心の部分が100%外に出るわけ。肉体はもう無いからね。なので所謂「浮かばれていない霊」ってのはめんどくさいことが多い。所謂「気づかい」だとか「忖度」ってものが働かないからね。で、話をオッサンというか歳を重ねた方々のことに戻すと、人間ってのはもしかすると歳をとるにつれ肉体と霊体とが徐々に離れていくものなのかなと。もしそうであるならば、歳をとるにつれて気づかいやら忖度やらができない人が増えてくるのも不思議なことじゃ無いよなと。知らんけど。おわり。

花粉って…

いまは杉の花粉が終わって檜の花粉が飛んでいるとか。僕は1月の終わりあたりから「なんだかおかしいぞ」という状態になりそれが今まで続いているのだけれど、ということは杉も檜もダメってことだよね。というか、花粉症とは身体に蓄積される花粉の量が一定量を超えることにより発症するようなことを聞いたことがあるんだけど、ってことはだよ、何らかの原因で僕の体内で受精したら、僕の鼻の穴から杉や檜が生えて来るってことなのか?と思えた。思えたので「花粉症 原因」で検索してみたら、アレルギーじゃないか。「一定量を超えると…」って記憶は何だったんだろう。取り急ぎは僕の鼻の穴から木は生えないことが分かってよかったよ。そんなことになったら首痛めちゃうもんな。重くて。

ギブソン

あのギブソンが破産しそうだというニュースを目にするようになってから、ギターが弾けない僕でもギブソンのギターを買ったろかと思うようになった。僕ひとりが購入しても破産を食い止めることはできないけれど、なんつーかさ、ギターと言えばギブソンじゃないですか。清志郎は「レスポールが重たすぎたんだろ」って言ってたし、チャボも「ギブソン手に入れ、あの娘にブルースを聴かせよう」って言ってたよね。曲にのせて。なので素人の僕でもギブソンってのはミュージシャンにとって憧れのギターなんだろうなと思えるわけよ。そんな憧れの存在を素人の僕が手に入れるのはちょっと違うなと思い続けていたんだけど、破産しちゃったんじゃ遅いから、ここは一発さ、この機会にさ、思いきっちゃってもいいんじゃね?と思っている。弾けないのに。
買っちゃったらギター教室に通うのかなとかさ、先生は優しい人ならいいなとかさ、素人のくせにそんないいギター持っててバカじゃね?とか思われるのかなとかさ、そんなことを考えてる46歳。悪くない。

森永純さん

写真家の森永純さんが亡くなったとのこと。

夜明け前の波打ち際を撮り続けていた頃、僕の撮る写真は「暗い」だとか「何だかわからない」なんてことを言われたりもしていた。内心「分かってもらおうとは思って無いし」なんてことも思っていたけれど、作品として世に出している限りはそのあたりのことも意識しないとならないものなのかな…と悩んだりもした。森永さんの作品と出会えたのはその頃で、同じ…と言ってしまうとおこがましいけれど、波を被写体としている森永さんの言葉は僕の心にスッと入ってきて、救われたというか、安心できたというか、そんな気持ちになれた。
最近では海以外を被写体とすることが多くなってきたけれど、周りからの「何だかわからない」という評価は相変わらずで、ただあの頃と違うのは、それでいいと思えているところ。お会いしたこともお話ししたことも無いけれど、森永さんの作品と出会えたことで、僕のなかの「柱」は少し強くなったと思う。

森永純さん、80歳。ご冥福をお祈りいたします。そして、ありがとうございました。