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占い師

昨日書いた話つながりで思いだしたことがある。
僕が離婚をしてからさほど時間が経っていない頃だったと思うけど、友人から「当たる占い師がいるから!」とゴリ押しをされて、興味はほぼゼロだったにも関わらず、 その熱意を反故にするのもアレかなと思え、予約をし、占っていただいた。「易」って言うのかな?細長い竹みたいなやつを両手に挟んでズリズリするやつ。あれをやっていただいた。
仕事のことと恋愛のことを占っていただいたんだけど、僕が次に女性とお付き合いができるのはいつかと問うと、4年後だと言われた。質問から回答までの間にサイコロ振ったり竹の棒をズリズリするから何分も待たされる。待たされたあげくに4年後かい!ってことでふざけんなよーと思ったんだけど、結果としてはそれが当たってたの。4年経ったらホントに彼女ができた。コロコロズリズリの時間って大事なんだなーと。

易ってのはそのときが最初で最後だったけど、占いにおいて大切なのはそのジャンルでは無く、占い師当人だってことが再認識できた。易だろうがタロットだろうが骨を焼こうが何でもいいの。大事なのは誰にみてもらうのかだなと。

理想の再婚相手

今朝気づいたんだけど、離婚をしてからそろそろ10年が経つみたい。相手もあることなのでその頃のことは意識して書かないようにしてたんだけど、10年経つのならもういいのかもしれないなと思えてきた。なので今日は少しだけそれにかすることを書いてみようかと。

離婚の原因はいくつかあるんだけど、そのうちのひとつが理想の夫像を追い求めすぎてしまったこと。誰に頼まれたわけでも無いんだけど、当時の僕は「夫とは一家の大黒柱であるべき」と思っており、結果としてそれに疲れてしまった。大黒柱になれるのであればそれがベストかなとは今でも思うけど、人にはそれぞれ特性というものがあってだな、僕にはそれが難しかった。ストレスへの耐性が低いからな。
それもあって、次に結婚することがあればどんな人と結婚したいだろうかってことを真剣に考えた。「無理をしないこと」「キャパを超えないこと」が 次の結婚生活では お互いにとって最重要だと考えたから、離婚を糧として、自分の改善点だけでは無く、こんな相手を求めて行きたいぞってことを頭に入れておく必要があると思った。2度の離婚は歓迎できないので、となると、誰が相手でもいいわけじゃ無いからね。で、導き出されたのは、優しいとかかわいいとか背がどれくらいとかそういう誰でも思いつくようなことは置いておいて、理想とするのはバレーボール経験者であること、ある程度歳が離れていてほしいが離れすぎていない (30代前半) こと、沖縄出身者であること、バツイチであること、子供が欲しいと思っていることだった。二重よりは一重の方がいいだとか、肩ががっちりしてるといいななんてこともあるけれど、そのあたりは優先度はそこまで高く無いからね。で、その4年後あたりに今の妻と出会った。どこからどこまでが僕の理想通りだったのかまでは書かないけども。

でね、妻と出会えたのは僕が理想の再婚相手を明確に思い描いていたことも一因だろうなーと思ってたんだけど、昨晩唐突に「もしかすると…」ってことが頭をよぎった。何かっつーと、あのとき僕は「こんな人と再婚したい」と思ったのでは無く、「こんな人と再婚するんだな」ってことを予知をしたのかもしれないぞってこと。あらかじめ再婚相手の素性が見えていただけなのかもしれない。知らん知らん、ホントかどうかは知らんし勘違いでもいいんだけど、妻と出会ってから6~7年ほど経つと思うけど、その期間を共に過ごしてきて、あれが予知だったとしても不思議じゃ無いよなーとは思えるのよね。だからどうしたと言われても困るけども、言うなれば、昨日の夜頭に浮かんじゃったんだからしゃーねーべよってことだ。

未完の大器

今日はどの写真をアップしようかなーってことでいろいろと眺めてみて、これにすっかってことでこの写真を選んで、右下に署名を入れた。この写真は某ディーラー所有の建物の建て替えのために一時的に空き地になっている広大なスペースを撮ったものなんだけど、どちらかといえばこの写真の主役とは考えていなかった空き地の向こう側に建つ家々に目をやると、なんとなく、そこに住む方々の生活が目に浮かび、人っていろいろなんだろうなーと思えてくる。一軒家を建てる人もいれば、賃貸で暮らす人もいて、子育てをしている人もいれば、介護をしながら生活している人もいるんだろうなと。弊社の仕事をお手伝いしていただいているフリーランスの面々もそれぞれで、常に努力を怠らずに研鑽をつんでいる人もいれば、弊社からの仕事以外には手を広げないがために「3か月ひと昔」と言われるこの世界において時が止まっているように見える人もいる。

生活…というか、生き方かな。生き方ってそれぞれで、それについて良いも悪いも無い。皆それぞれに、数秒おきにやってくる選択の連続を経て今を生きている。思うのは、人ってのはそれぞれに資質があるわけで、その資質を存命中に開花できる人ってどのくらいいるんだろうなってこと。簡単に言えば自分の長所ってことになるけれど、その長所に気付き、それを大きく活用できている人ってどの程度存在するんだろうか。右に倣えが尊重されているかのようなこの国の教育を経たうえで、そのなかでも自分の資質に気付き、それを長所として磨きをかけたうえで開放できている人がたくさんいればいいなと思う。他人との比較なんてどうでもよくて、それよりも重きをおきたいのは、自分の可能性を埋没させたまま終わらないこと。未完の大器で終わっていては勿体ない。ひとりの例外も無く、誰しもが大器としてこの世に生まれてきているんだと思うもの。可能性のかたまりとして生まれてきていると思う。

日本と韓国

真偽のほどは知らんけど、昨日たまたま目にしたネット上の書き込みには関心させられた。何年か前に国会において特定秘密保護法に関するもろもろがあったけど、あれが通ったおかげで韓国には気を使わなくても良くなったという内容。どういうことかというと、その書き込みによると、数年前までは特定の機密事項の保護に対する法律が無かったため、日本に対してはアメリカ側から軍に関する機密は入って来なかったと。ただ同様の法律がある韓国には入っていたと。なので日本は友好国である韓国からその情報をいただいていたらしい。その「上下関係」があったので、韓国は日本に対して様々な分野で無理難題を突き付けてくることもあったし、それに対して日本側はやんわりとした態度を取ることが多かったと。しかし数年前に特定秘密保護法が可決、施行されたことにより、アメリカ側の機密情報も日本に入ってくるようになり、韓国側には遠慮せずに済むようになったとのことだった。確かにそのあたり、最近の日本政府の韓国に対する対応を見る限り納得ができる部分がある。あのとき特定秘密保護法に反対していた面々を思いだしてみても頷ける。なるほどなーと。

最近の日韓関係は冷え込んでいて、なかには「国交断絶 !」なんてことを言う人もいる。気持ちは分からなくは無いけれど、なんつーか、そこは難しいんじゃないかなと思っている。そのあたりのことは国対国の話であって、たとえ本当に国交がうんたらかんたらだったり、友好国がうんたらかんたらな状態になったとしても、人対人の部分においては友好的でありたいと思う。確かに「靖国神社に放火」なんてニュースを目にすれば「縛り首じゃ!」とは思うけど、極端に右と左に寄った人たちを除いた大多数の人たちとは仲良くなれる。それはどこの国においても同じだと思う。国と国との関係が微妙になればなるほど、国民同士はその逆のベクトルを持っていられればいいなと思う。

どんどん進む

ここのところ僕を取り巻く環境には目に見える範囲での変化は無いけれど、変わるための準備をしているであろうことには気づいている。それに合わせているわけでは無いけれど、僕の内面も徐々にその活動の範囲を広めている。どの方向に変化していくのかは自分の心持ち次第で、良くもなるし悪くもなる。大切なのは恐れないこと。自分の胸と丹田と相談しながら、オリジナルな方向へと歩を進める。勇気と感謝をかばんに詰めて、進んで行けばいいんじゃね?