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アイドルに思う

人間とは自分には無いものを求める傾向があり、そこを突けばビジネスは成立しやすいんだろうなと思っている。
僕の場合、ここ何年かはアイドルを追う傾向にあるけれど、僕がそこに何を求めているのかなと考えたとき、おそらくは笑顔なのかなと思えた。若い異性から向けられる笑顔。30代前半あたりまではまずまず身近にあったから、その意味では満たされていたんだと思うけど、オッサン化が顕著になるにつれ、お金と交換しなければ手に入れることができないものになってしまったのかもしれない。それが今の僕にとっての若い異性の笑顔の現在地。
笑顔があると何が得られるかというと、ドキドキだろうね。胸のドキドキ。これをときめきと言うのかはよく分からないけれど、ひとつ言えるのは、それがあると元気になるということ。なんかこう、やる気が出るし、身体も軽くなる(ように感じる)。やっぱりね、老若男女、ドキドキって大切なんだと思う。いくつになっても恋をすべき。うちの妻はプロレスラーが大好きだけど、それもドキドキだよね。なので正しい。どんどん好きになればいいと思う。健康の秘訣だと思う。
それと、アイドルを見ていると応援したくなるし、なんだかいろいろ教えてあげたくもなってくる。これは年長者ゆえの考え方だと思うんだけど、そのあたりのことも大事なことで、こう、なんつーのかな、うまいこと言えないんだけど、優越感的なものというか、支配下にあるかのように勘違いするというか、そんなものとのミックス具合がうまく行ってるというか、うまくやられちゃってるんだろうなとも思う。ドキドキと支配下のミックスな。遠い存在のようで、それでいて近くにいるような気もするし、みたいな。女性で言えば母性みたいなものなのかもしれないけども。
と、ここまで書いて気づいたけど、これってもしかするとキャバクラも一緒なのかもしれないなと。応援したくなるところ、笑顔がもらえるところ。ま、キャバクラへは行ったことが無いんだけど、要はビジネスの根幹って全て共通してるんだろうなーと思えたよ。ガワと言うか、アウトプットが違うだけ。おわり。

言葉の印象

現在の案件を担当するようになってから、昨今ではメールに記載する宛名の敬称をひらがなで書くことが多いと知った。つまりは「安西様」では無く「安西さま」と書いて送ってくるということ。昭和の男である僕からすると「友達じゃねぇぞ!」と思えてならないのだけれど、表現を柔らかくするためのものであって悪気は無いようだということで、好きにはなれないけどスルーすることにした。でもね、「悪気は無い」では済まされない、いや、済ませたく無いメールもあるわけでさ、ひとりいるのよ、そういうメールを送って来る人間が。「おせわになります」では無く「お世話になります」でなければダメだし、「すみません」では無く「申し訳ございません」だし、「いただけますでしょうか」じゃ無くて「いただけますか?」だろ。新人ならまだしも、30も半ばを過ぎた、そのチームの中でも偉い人からのメールだよ、これ。ひどい。というか、こんなメールを送って来られると、その人だけでは無くその会社自体がちょっとアレなんじゃね?と思えちゃうよ。誰も注意しないのかね?僕が上司なら超特急で正すけどな。

それと、自分の伴侶のことを「うちの旦那さん」やら「うちの奥さん」と呼ぶことにも抵抗があって、いやね、別にいいの、いいんだけど、自分の会社の社長のことを「うちの社長さん」と言わないでしょ?そういうことなのよ。話は通じるからいいんだけどさ。分からない人は「夫」や「妻」を使っておけばいいの。それであればどんな場であっても大丈夫だから。
あと、「濃い」ことを「濃ゆい」という人がいて、それもとても気になっていたというか若干イラッと来てたんだけど、調べてみたらそれは九州だか四国だかで実際に使われている言葉だとのことが分かり、今は「大変に申し訳ございませんでした」という気持ちでいる。私が間違えておりました。

好きなこと

鎌倉に素敵なセレクトショップがある。何が素敵かというと、そのお店の経営者であるご夫婦がたまらなく素敵。洋服愛に溢れていて、純粋に、ご自分たちがセレクトしてきた洋服を着てほしいという思いに溢れている。似あわないものは勧めないところや、置いてある服について質問をすると永久に終わらないんじゃないかと思うくらい熱のこもった説明ができるというところが信用できる。そして実際、どの服も着心地がいい。「好きなんだろうな~」と思える。
「好き」って大事だよなと。世の中のどれだけの人が「好き」を仕事にしているのかは分からないけれど、それができれば笑顔でいられるんだろうなと、あのご夫婦を見ていると思える。その笑顔を分けてもらえるので、こちらも元気になれる。

たとえば、好きなことを仕事にしている人だけを集めた街を作ったらどうなるだろう。なんか、凄いことになりそうだよね。

アウトプット

ここ2~3年かな、友人たちのFacebook離れが続いていたけれど、今年に入ったあたりからそれが顕著になったように思える。表示されるのは企業からの投稿ばかりで、友人たちからの投稿はあまり見かけなくなってきた。単に飽きた人もいるだろうし、個人情報の流出を懸念しはじめた人もいるのかなと。それはそれで特に問題は無いというか他人がどうこう言うものでは無いのでいいんだけど、僕はこのまま続けると思う。SNSを利用する目的が他の皆とは違うんだろうなと思っているから。
僕の場合、むしろ「自分」を流出させたくてSNSを利用している。遡ること19年前。お菓子屋さんでの仕事を辞めてWeb制作の勉強を終えた頃、「安西祐輔という名のフリーランスのWebデザイナーがここにいますよ!」ということを全世界に知らしめる必要があると感じたそのときから、どこかのサイトに連絡先を登録したり、自分のサイトで日記を書き始めたりと、世に向けて個人情報を流出しはじめた。個人情報とは言ってももちろんたかが知れた程度のものではあるけれど、それを世に出したことで現在の自分があると胸を張って言える。このことは仕事に関わることだけでは無く、プライベートにおいても役立っている。「自分はこんな人です。」「こんなことを考えています。」なんていう「人となり」を発信することで、シンパシーを感じた人は寄って来てくれるし、その逆もあるわけなので、面倒が起きにくい。そして日記に関して言えば、それを書くことによって自分の頭の中を整理できるし、相手に伝えることを意識するし、スキルアップにつながっている。

僕らが子供の頃の「勉強」とは、詰め込み型のものがほとんどだった。それが所謂「ゆとり」以降は、自分で考え、自分の意見を述べることを主とした授業が増えたという。つまりはゆとり以降の日本人は様々な物事に対して「自分を出す」ことに慣れているということで、僕らオッサンは詰め込んだ知識をひけらかすくらいしか能が無い。さらには自信満々に「いい国つくろう鎌倉幕府!」なんてことを言っても、若者から「それ、違うから。」と言われるのがオチだ。古いんだよね、情報が。

なのでね、この先あと何年生きられるのかは分からないけど、僕らオッサンたちもさ、アウトプットすることに慣れておくといいと思う。SNSを使わないとダメだとは言わないけど、それぞれのやりやすい方法でアウトプットを重ねることで、この先の安心を得られるんじゃなかろうかと思っている。「自分」を自分の中に秘めていてもあまりメリットは無い時代だと思うんだよね。

花粉って…

いまは杉の花粉が終わって檜の花粉が飛んでいるとか。僕は1月の終わりあたりから「なんだかおかしいぞ」という状態になりそれが今まで続いているのだけれど、ということは杉も檜もダメってことだよね。というか、花粉症とは身体に蓄積される花粉の量が一定量を超えることにより発症するようなことを聞いたことがあるんだけど、ってことはだよ、何らかの原因で僕の体内で受精したら、僕の鼻の穴から杉や檜が生えて来るってことなのか?と思えた。思えたので「花粉症 原因」で検索してみたら、アレルギーじゃないか。「一定量を超えると…」って記憶は何だったんだろう。取り急ぎは僕の鼻の穴から木は生えないことが分かってよかったよ。そんなことになったら首痛めちゃうもんな。重くて。