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ほとんど撮らない

一日中家の中に籠っていても何ら支障が無いほどにインドア派な僕だけど、籠り切りというのも健康に良く無いので、用事は無くとも散歩はするようにしている。散歩と言うと年齢を感じさせるものがあるので「ご近所パトロール」としておくか。
昨日は珍しくカメラを持って2時間のパトロールに出かけた。「よし、今日は2枚撮ったぞ。」と思い自宅へ帰ってからパソコンにデータを落としてみると、2枚というのは勘違いで、なんと4枚も撮っていた。4枚のうち2枚は同じ場所で撮っていたので、実際にはパトロール途中の3箇所で撮影意欲が湧いたわけだ。不感症の僕としては上出来だ。2時間歩いたうち3回も心が動かされてシャッターを切ったわけだから。

僕はフイルムの頃から撮影枚数は多く無い。36枚撮りを1日で2本も使えば多い方だ。ハッセルだと撮影枚数はもっと少なくなる。アレは12枚撮りのフイルムを使うことがほとんどだったけど、多くともそれで2本撮るか撮らないかだったな。今はデジタルだけど、デジタルになった今でもやってることは変わらないと思う。「今日はすげぇ(たくさん)撮ったな。」って実感がある日でも、パソコンに落としてみると300とか。いや、300なんてこと無いか。300ってのは何泊かの旅行に行ったときの数だから、1日あたりで割ると100くらいなのかなぁ。デジタルでもそれくらい。
1日で1,000枚以上撮る人もいるみたいで、それはそれでその人なりの撮り方なので良いと思うけど、僕が1,000枚撮るとなると連射しながら歩くしか無いと思う。1,000枚だなんて、そのなかからベストショットを探しだすだけでも大変だろうなと。
だから僕にはSDカードとバッテリーの予備は必要無い。とはいえ突然のクラッシュに備えて持っては行くけどね。そこはほら、危機管理の部分だから。心配性にとっては必要なところ。

作品と企画書

角写真(かどしゃしん)の撮影を再開させてから2週間が経った。撮影した写真の数が増えるにつれ、それに合わせるように僕の欲も増えてきた。

角写真の撮影を再開させたのは、作品づくりの意欲が湧かない昨今だけど、せめて写真を撮るという行為からは遠ざかっちゃーイカンよなと。そのためには何でもいいから撮らないとなということが理由だった。角写真であれば、角の前に立ってシャッターを切るだけで撮れるから、いちいち小難しいことを考える必要は無いから楽でいいなと思ってたんだけど、撮影枚数が増えてくることで、撮影されたそれぞれを比較することができるようになってくると、それらの違いが気になってきて、結局のところは小難しいことを考えたくなってくるんだね。これはもう性格によるものだと思う。「なんとなく」で動きたく無いんだよね。理路整然とさせたくなってくる。

他の人のことは知らんけど、僕は作品づくりは企画書づくりと同じだと考えていて、つまりは撮影に入る前に、目的、ターゲット、コンセプトを明確にすることが最重要だと思っている。それを明確にすることで、それに適した撮影場所、撮影時刻、機材、撮影方法等々が決まってくる。つまりは作品づくりのための要素を絞りこむことができる。絞られてくるから、それに従ってアウトプットされた作品には自ずと統一感が出て、要は芯の通った作品に仕上げることができる。ここがスタート地点。あとは必要に応じて諸々のアレンジを加えてやることでオリジナリティーも出やすくなるのかなと。

でもまぁ、撮り始めてまだ2週間しか経ってないから、まずは数を撮ることかなと思っている。質を上げるには量が必要で、まずはそこかなと。事実、たったの2週間だけど、なんとなく見え隠れするものも出てきているし。なのでそこを大切にしつつ、少しづつ、並行して、企画の部分を積み上げていければいいかなーと思っている。

妻の日記

僕と同様、僕の妻も日記(ブログ)を書いている。僕と違うのは毎日欠かさず書いているところ。写真と文章と、もう4年半もアップし続けている。妻のそういうところは凄いと思う。
そんな妻、1週間ほど前からその日記へのリンクをFacebookに掲載するのを止めてしまった。見てくれる人が見てくれればいいってことなのかな。

妻は今後もFacebookへ掲載することは無いような気がする。だから以下に妻の日記へのリンクを記しておく。
妻の撮る写真は好き。素直に撮るから。
くみ日記

作品づくりに関する真面目な話

週末、久しぶりに超広角レンズをつけて「角写真」の撮影をしてきた。超広角レンズやマクロレンズのような特殊なレンズを用いて撮影した写真は他人目(ひとめ)を引きやすいので、日頃から多用しないように心がけている。それに頼ることで、基本がおざなりになりそうで。ではなぜ今回数年ぶりに角写真を撮ろうと思ったのかというと、それはズバリ、作品づくりの意欲が湧かないから。いつまで経っても意欲が湧いてこないもので、このままだと写真そのものを撮らなくなりそうだなとの危惧に至り、防湿庫に眠っていた超広角レンズに手が伸びたということ。撮ってみたら楽しかったので、この判断は間違っていなかったと言える。

僕にとっての作品づくりとは、自分の内面を表に出すことを言う。内面を目に見える形で世に出すことが僕にとっての作品づくり。でもここ数年、内面を外に出したいとは思えぬ日々が続いていて、それはつまり作品づくりにも意識が向かないということで、こんなことになっている。内面の状態がよろしくないということではなく、精神的にはすこぶる快調、中畑清ばりの絶好調だけど、特にそれを外に出したいとは微塵にも感じていないのが正直なところでね。

角写真は僕の内面を現すものでは無いけれど、撮っていて楽しいし、撮ったあとも楽しい。「あー、こんなの映ってたんだー。」なんて発見をしながら写真を見直すことができるのも、超広角ならではではなかろうかと。
これを作品にまで昇華させられるとは現時点では思っていないけれど、まぁ、楽しめるうち、そして機材の重みで身体を壊さないうちは続けてみようと思っている。「楽しい」って大事だからね。

面白い作品

この週末の写真教室は久しぶりに面白かった。なぜ面白かったのかと考えてみると、皆の作品に個性が出ていたからだろうな。
僕が通っているクラスはレベルで言うと最上級のクラスではあるけれど、「野心」という言葉からは縁遠い人間が集まっていて、どこかほのぼのとしたところがある。それが悪いわけでは無いけれど、「他人の作品を見て学ぶ」という観点から見ると物足りないところがあるのは確か。それが昨日は久しぶりにやる気が伝わる作品を複数見ることができたので、なんかこう、「こういうことなんだよな」と思えた。学べた。こういうことは相乗効果があるものなので、このまま皆の気持ちも盛り上がるといいよなと。

僕はというと、先月の青森への旅で撮影したものを提出した。作品でも何でも無く、単なる写真群。皆は何も言わないけれど、こういうものを出している時点でダメだと思っている。観光ついでに初見の場所で数枚撮影しただけのものが皆の気をひくはずが無い。滞在時間数分で、被写体をじっくりと見ることも無く、光もロクに選べないんだから。

気をひく写真には撮影者の魂が宿っていると思う。じっくりと被写体に向き合い、必要であれば何度も足を運び、試行錯誤を繰り返し、熟考に熟考を重ねて作りあげることで、自ずと作品に魂が宿る。そういうものだと思っている。それをテクニックでカバーしようとしてもバレるよね。綺麗な写真には仕上げられるかもしれないけど、面白く無いもんな。巨匠じゃ無いんだから。