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カメラの重さ対策

昨日の日記は、本来であればこういうことを書きたかったのだ。書いている最中に思いもよらぬ方向に話が進んでしまったので、そのまま書き切ってしまったのが昨日の日記。今日はカメラの重さ対策に絞って書いてみるよ。

歳をとることでカメラの重さが身体に堪えるようになった。普通に首からぶら下げていると、家に帰るころには首やら肩やら腰やらに違和感を感じはじめ、それが数日かけて全身のバランスを崩していく。対策としては重いカメラを使わないようにすることと、持ち歩きの方法を工夫することだ。今日書きたいのは後者。
僕がどんな対策をとったかというと、まずやってみたのは「首の負担がZEROフック」を使うことだった。詳しくは検索していただければと思うけど、ZEROフックをザック(バックパック)の肩付近にあるパーツに引っかけて、そのひっかけたZEROフックにカメラのストラップをかけて使う。カメラの重さをザック(バックパック)にかけることで、首の負担を無くすというもの。使ってみると、確かに首の負担は無くなった。ただ不便な部分もいくつかあって、一番厄介だったのは、ひとりだとカメラをフックに引っかけることも外すこともしにくいこと。どちらも同行者(妻だけど)にお願いしていた。つまりはひとりで撮影にでかけると、どうにかしてストラップを外さない限りはザックを降ろすことができないの。なかなかね、外せないのよ。もうひとつの難点は、使えるザック(バックパック)が限られているということ。前述した「ザック(バックパック)の肩付近にあるパーツ」は、おおむね30L以上のザックでなければ付いていないことが多い。30Lより小さいもの、つまりは「リュック」では使えないことが多い。よってZEROフックを使うためには30L程度の大きめのザックを使用しなければならない。たいして荷物が無いときでもデカいザックを背負わなければならなくなるのはちょっとね。
次に試したのは、ストラップのシステム自体を変更すること。ZEROフックの弱点はフックにストラップをかけたり外したりの作業がやりにくいことなので、そこを修正しない限りはダメだろうと思えた。そこで目を付けたのがPeak Designの製品。これもまた言葉で説明をするには限界があるので検索していただければと思うけれど、創業者がアウトドア愛好家なので、痒い所に手が届く製品が多い。そのなかからPeak Designの「カフ(リストストラップ)」を2つ購入し、それをそれぞれザックの左右の肩付近にカラビナでひっかけて、カフの先にカメラを付けた。これであればカメラの取り外しは簡単にできるので、ザックを降ろすたびにイライラする必要は無い。

現時点では後者、つまりはPeak Designの製品を利用して自分なりのシステムを作っているけれど、ZEROフックとPeak Designとを組み合わせることでより使いやすいシステムを構築することができるんじゃないかと思っている。これについては折を見てトライしてみようと思っているけど、ま、どちらにしてもザックやらリュックやらは必要になるわけで、そこがネックと言えばネックだろう。ザックと言ってもいろいろあるけれど、細かな説明をするにも限界があるので結論だけを言ってしまうけど、トレイルランニングを目的としたザックを利用するのがベストだと思っている。トレランに適した(ある程度大きめの)ザックとZEROフックとPeak Designの組みあわせが現時点では最強かつ便利だろうと思っている。

撮影とコンプレッションウェア

僕がWeb制作の世界に入った1990年代は、この世界は「3カ月ひと昔」と言われるほど進化が早いので、常に周りを見まわして、新しいものを取り入れ、現状に甘んじていてはイカンと言われていた。アンテナ立てとけと。アウトドアウェアの世界もそれと似ていて、素材も形も常に進化を続けていると思う。休みの日には一日中家に籠っていても全く苦にならないほどのインドア派の僕がなぜアウトドアウェアを語ることができるのかというと、外での撮影時には必ずと言っていいほどアウトドアウェアを着ているから。海やら川やら山やらで撮影をするにはさ、私服だといろいろとキツいのだよ。
今まではどちらかと言えば通気性やら防水性やら伸縮性あたりを重視していたけれど、歳をとるにつれ、筋肉のリカバリーや怪我を未然に防ぐことも考慮するようになった。つまりはレイヤリング云々だけでは無く、C3fitなどのコンプレッションウェアも身につけるようになりつつあるということ。厳密に言うと数年前にもコンプレッションウェア、その時はタイツだったけれど、それを身につけていたこともある。でもその頃のタイツはとにかくキツくてさ、はくのも脱ぐのも大変で、逆に疲れちゃうのよ。それがね、昨今のそれはとても進化していて、はきやすいし脱ぎやすくなった。蒸れないどころか逆に涼しく感じるほどに素材も素晴らしくなった。ふくらはぎ用のものを身につけるだけでもなぜか自然と足が前に出る。不思議だねー。とにかく進化してる。

来月は東北地方の某県で写真を撮る予定。重い機材を持って歩きまわることで身体への負担が大きくなるので、それによる疲労や怪我をいかに防ぐかということが課題。数週間前からストレッチと軽めのトレーニングを続けてるんだけど、もちろんコンプレッションウェアにも頼りたいと思っている。タイツなのか靴下なのか、タイツの場合はハーフなのかロングなのか、自分の身体と相談したうえで何らかを新調して臨むつもり。楽しく終えて、いい思い出を残したいからね。便利な世の中になったよ、ほんと。

どうなることか

今度の日曜日には久しぶりに夜明け前の波打ち際の撮影に行こうかね、なんて話も出ているけども、果たしてどうなることやら。

どこからどこまで

ある写真家さんの展示を見に行った際、そのプリントの美しさに驚いたことがある。その写真家さんの書籍やら写真集は持っていたものの、展示を拝見するのは初めてで、本物(オリジナルプリント)はこれほどまでに凄いものなのかとその差にとても驚いた。「いやー、やっぱり違うもんなんだなぁ。写真集で満足してないで、これからは本物を見ないとイカンな。」なんてことを思いながら帰路についたんだけど、数日後、そのプリントはご本人によるものでは無く、他の方に依頼したものだと知った。撮影者とプリンター(含レタッチャー)が別人であることは珍しく無いけれど、その方は(普段は)ご自身でプリントされる方だと知っていたし、展示されていたプリントがあまりにも美しいものだったので、正直、がっかりしてしまった。ま、知らずに見ていた僕が悪いんだけど。
先にも述べたけれど、撮影者とプリンターとが別人であることは珍しくも何とも無い。フィルムの頃も、モノクロは自分で現像する人も少なくなかったけれど、カラーについてはプロショップにお願いすることが通常だった。「ここをもうちょい明るくして…」なんてことをお願いしていた。ただなんつーか、あそこまで美しくプリントできる技術をお持ちの方がいらっしゃるのなら、ぜひともその方のお名前も出してあげればいいのになと思えてな。音楽の世界では作詞と作曲だけで無く、編曲、アレンジャー、プロデューサーの名前も出てるよね(CDの話)。なので写真の世界もその作品づくりに携わった全ての方、たとえばプリンター、レタッチャー、額装してくださる方など、その全員のお名前をどこかに小さくでもいいので出してあげてもいいんじゃなかろうかと思えた。全ての作業をひとりでおこなっているのでは無ければね。

心をのせる

文章を読んでいると、それがスッと入ってくる場合とそうで無い場合がある。それをこれまではこちら側の問題だと思っていたけれど、もしかするとあちら側の問題なのかもしれないと思えてきた。スッと入ってくるときとは、書き手の心のなかにあることをそのまま活字にできているときなんじゃないかと思えて。
文章だけでは無く、写真も音楽も絵画も彫刻も、創作されるものはみな同じなのかもしれないなと思えた。そうなると、これは今日僕が書きたかったことでは無いけれど、もしかするとオリジナリティーの話にも関わってくるのかもしれない。他の誰かのものを模倣したような創作物は、どこか引っかかりができるのかもしれないなと。ご本人のなかにうまく取り込めていないというか、理解できていないというか、そんなところが受け手側のひっかかりとして現れるのかなと。ガワは素敵に見えても、中身は空なのかもしれない。そこに込めるべき心が見あたらないのかな。
話を戻すと、心のうちをそのまま活字にできたであろう文章を読んだとき、そこには気持ちよさを感じる。朝一番の、眠りから覚めたばかりのまっさらな心と似ている。「言霊」ってそういうもののことを指すのかもしれないと思えた。であれば、言霊ってのは本当に力のあるものなのだなと。人の内と外とをつなぐパイプのようなところを何の引っかかりも無くドカンと出てくるものだろうから。力はあるだろうし、不純物も含まれていないだろうし。