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森永純さん

写真家の森永純さんが亡くなったとのこと。

夜明け前の波打ち際を撮り続けていた頃、僕の撮る写真は「暗い」だとか「何だかわからない」なんてことを言われたりもしていた。内心「分かってもらおうとは思って無いし」なんてことも思っていたけれど、作品として世に出している限りはそのあたりのことも意識しないとならないものなのかな…と悩んだりもした。森永さんの作品と出会えたのはその頃で、同じ…と言ってしまうとおこがましいけれど、波を被写体としている森永さんの言葉は僕の心にスッと入ってきて、救われたというか、安心できたというか、そんな気持ちになれた。
最近では海以外を被写体とすることが多くなってきたけれど、周りからの「何だかわからない」という評価は相変わらずで、ただあの頃と違うのは、それでいいと思えているところ。お会いしたこともお話ししたことも無いけれど、森永さんの作品と出会えたことで、僕のなかの「柱」は少し強くなったと思う。

森永純さん、80歳。ご冥福をお祈りいたします。そして、ありがとうございました。

変化

さて、今日も絶好調なほどに書きたいことは無いけれど、頭に浮かぶことをそのまま文章にして行くよ。

数年前までは夜明け前の波打ち際の写真を撮ることに情熱を傾けていた。その情熱は無くなったわけでは無いけれど、いまやゼロに近いところにあることは確か。そのうちまた盛り上がってくるだろうなとは思っているので、その熱が自然に上がってくるのを待っているところ。無理はするもんじゃ無いということは、歳を重ねることで理解できるようになった。
僕が2年半も続けていた波打ち際の撮影に出かけなくなったように、人って時の流れとともに変わっていくものだと思う。自発的に変わることもあるし、周りからの影響によって変わることもある。どちらにも共通して言えることだと思うけど、変わることを無理矢理止める必要は無いと思う。とかく日本人は変化を嫌うフシがあるように思えてね。周りとの付き合いが悪くなること、転職すること、離婚すること。ケースバイケースなのでどれも完全なる善だとは思わないけれど、絶対的な悪だとも思わない。変化が必要なことってあるからな。僕も我慢は美徳とニアリーだなと思っていたこともあるけれど、それにも限度があるんだよね。
なんか、もっと力を抜いてもいいと思うの。力を抜けば、その隙間から光が差し込むような気がするんだよね。力が入ってると、いろんなものを弾いちゃうんじゃないかと。深呼吸でもして、抜くとこ抜くといいのかもしれないね。

写欲微増の件

みんな忘れてると思うけど、この日記は写真関連の話題を中心にしたものだから、たまにはそっち方面のことを書くことにするよ。

ここ数日の話だけど、限りなくゼロに近いところにあった写欲が微増している。具体的にはどのくらいなのかというと、神島塾に通っていた頃やエプサイトさんでの個展の頃を100とすると、25だな。多くの方、というと「決めつけだろそれ!」とか「オレは違うぞ!」なんてことを言われかねないので言い方を変えると、少なく無い方が機材の購入とともに写欲が増す傾向にあると思う。レンズを買っただとかボディーを買い変えただとか、そんな物理的な刺激によって精神的な部分をくすぐる方法がとられることが多いかと。いや、少なく無いかと。僕もそのひとりだったんだけど、今回は違うんだな。先週末に多摩川の定点観測撮影で試してみた方法がなかなかで、これならば僕が描きたい世界に近いものを表現できるんじゃなかろうかと思えてね。なのでしばらくこの方法での撮影を続けてみたいと思っている次第。
「継続」って大事だね。なんだかちょっとだけ開けた(ひらけた)気がするよ。

ちなみに数行前に「描きたい」って書いちゃったけど、これはつまり写真を「撮る」という感覚では無く「描く」という気持ちでシャッターを切っているからなんだろうね。あまり深く考えたことは無いけれど、絵が描けるのであれば絵で表現してると思うの。でも描けないし、既にカメラを持ってたから写真で表現しようとしてるってだけの話なんだよな。

写真の好み

撮影した写真をPhotoshopで現像する際、ここ何年かは明瞭度を高めに設定することが多かった。というか、明瞭度を上げるに適した被写体を意識的に撮っていたということもあるけれど、それが心地よく感じられていた。それが今年に入ったあたりからかな、そのあたりのことが180度変わってきていて、明瞭度が低い作品、つまりは微妙にぼんやりした作品に仕上げることが心地よく感じられるようになってきている。もちろん撮り方も変わってきていて、今までは絞りに絞って撮影していたけれど、それを開放値に近いところで撮ることが増えてきている。ライカを使い始めて7~8年ほど経つけれど、ようやくライカらしいボケ味のある写真を撮るに至ったということか。ま、シャープな写真を撮っても「ライカらしいなぁ」と思うんだろうけども。まぁいいや。
で、この日記用の写真は現時点で800枚ほどストックがあるけれど、それらの大半が明瞭度を高めに現像をしたものなので、今の僕が見るとなんとも面白みに欠けたものに見えてしまう。日記にアップしたいとは思えなくなっている。では元データ(RAW)をいじって明瞭度を下げて現像しなおせばいいんじゃね?と思うかもしれないけれど、昨年末あたりに起きた「NAS(RAID1)ぶっ飛び事件」の影響で既に多くのデータを消失してしまっている。なのでどうすりゃいいのかというと、日記用の写真を新たにストックしまくらねばならないということだと思うんだよね。写真欲、つまりは写欲が落ちている昨今ではあるけれど日記は続くわけなので、ここはひとつ重い腰をあげて撮影にでかけないとイカンところなんだよね。春の陽気に誘われてフラフラとでかけないとね。マスク必須でさ。

花を撮る

この日記を定期的にご覧いただいている皆さまであればご存知かと思うけれど、僕が被写体として花を選ぶことは珍しい。いや、全く撮っていないことは無いけれど、花を撮る人は多いから、なにも僕が撮る必要は無いかなと。なので積極的に撮ることは無いし、撮ったとしてもこの日記にはほとんどアップしていない。僕が撮ったものよりも花のことが大好きな方が撮った写真の方が心に響くと思うから。

で、今日の写真。梅だねこれは。先日豪徳寺へ遊びに行った際に妻から「あなたならどうやって撮る?」と言われたので撮ってみた1枚。妻のブログに同じ梅の写真がアップされているから僕もアップしてみた。妻のブログをご存知の方は比較してみると面白いだろうなぁと思って。撮る角度だったり考え方の違いだったりが分かると思うんだよね。なお、僕は梅を被写体にはしているけれど、梅を撮ったつもりは無い。枝が重なり合っているところや青空とのコントラストを表現しつつ、見る人の心に残るような写真になればいいなと思って撮った。
僕の心がひねくれているからなのか何なのか、ストレートに花と向き合えないというか、興味が無いというか、そんな感じなんだよな。綺麗だなとは思うんだけどね。