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高級霊と低級霊

こういうことを書くと「またあいつは頭のおかしなことを言っている。」とか「そもそもキモいよね。」みたいに思われそうで嫌だからあまり書かないようにしてるんだけど、ここ数日頭のなかから離れなくてウザい部分もあるので、思い切って書いてしまうことでその思考に成仏していただくことにする。なーむー。

先日ね、僕の好きな「ももち」こと嗣永桃子さんの映像をYouTubeで見てたのよ。たくさん。面白いなーとか、歌うまいなーとか、ダンスが上手なメンバーがいるBerryzだけど、そんななかでも自然とももちに視線が行っちゃうのはこれ如何に、なんてことを思いながら楽しく見てたんだけど、そんななか、何年か前にテレビで放送していた『おしかけほにゃらら』って番組が出てきてね、こういうスピリチュアルな番組はあまり好きでは無いからほとんど見ないんだけど、ちょっとね、見てみたの。
ももちが霊視されてね、それによるとももちは素では無くキャラだと言われていたり、自宅の部屋を覗かれてカーテンやら服やらの色を当てられていた。その様子を見ていて、これって低級霊の力によるものなんだろうなーと思えた。高級霊はこんなことに力貸さないだろうなーと思えたから。低級とか高級とか何やねんとお思いの方もいらっしゃると思うので簡単に説明すると、我々人間は霊界に移行してから休んだり反省したりしながら魂を浄化すると言われてるのよ。その浄化の度合いによって低級霊と高級霊とに分類されるのだ。個人的には低級と高級しか無いだなんて大ざっぱだなぁとは思うものの、逆に言えば分かりやすくはあるからまぁいいかと思っている。話を戻すと、低級霊とは言えども僕ら人間からすればすごいことができるわけで、「超能力ですか?」なんてこともできたりする。低級とは言えども僕ら人間にはとても及ばないほどの霊能力を発揮することができて、しかも人間との関わりを積極的に持ちたいと思っているものが多い気がする。平たくいうと、こういった所謂「当てもの」の際には低級霊が関わってくることが多い。全てが全てでは無いけれど、すぐに関わってくるのは高級霊よりは低級霊なので、やっぱり当てものってのはアレだよなぁと再認識した。ももちを見てこんな結論に至るとは。

書いてる最中に仕事が忙しくなってきたから後半が雑になった。でも忙しいからもうおわり。

安西ヒーリング再開の件

Facebookでは既にお知らせ済みだけど、こちらの日記でもヒーリングやら何やらの話をちょいちょい書いていたので、ご報告をさせていただく。4/15(月)から安西ヒーリングとしての活動を再開させていただいた。約7年ぶりの再開になる。本業で身動きが取れなくなってから活動を停止させていただいていたわけだけれど、再開させたからといって本業が無くなったわけでは無いのでご安心を。安西ヒーリングのWebサイトも公開したので、よろしければ。
https://anzai-healing.com/
また、安西ヒーリングの更新情報をお伝えする目的で、Twitterも開設済み。こちらも合わせてご報告。
https://twitter.com/anzai_healing

そもそもヒーリングって何なのよ?とお思いの方もいらっしゃると思う。これに関してはいろんな人がいろんな解釈をお持ちだったりするけれど、僕の思うところは安西ヒーリングWebサイトにてご確認をいただければ是幸い。Webサイトには書いていないことをちょろっと書くとだな、スピリチュアル・ヒーリングってのは何やら怪しそうだとかなんかすげぇものなんじゃないかと思われることもあるけれど、特別なものでも何でも無いと理解している。正直、誰にでもできるものだと思う。コツがあるからそれを習得する速度に個人差があることは否めないけれど、息をするのと同じくらい普通なものだと思う。全員が全員プロ野球選手になれるわけでは無いけれど、多くの人はボールは投げられるでしょうし、打ったら走るものだくらいはご存知と思う。それと同じ。だから必要であれば、誰かに頼まずに、ご自分でできるようになれば一番いいんじゃなかろうかと思っている。僕にできるんだから誰でもできる。もちろん生きて行くうえで必須なものでも無いから、できないからといって困ったり悩んだりもしなくていいと思う。なんつーか、そういうものだと思っている。

あとね、事例を挙げておくとだな、たとえば今年に入ってからうちの妻に対して数回のヒーリングをおこなったからそれについて書こうかな。参考として。
一度目は耳の痛み。耳の中が痛くなってから数日経つというので、少し心配になってヒーリングをした。耳のなかにスムーズにエネルギーが入っていった。しばらくすると耳のなかの何らかを引っ張りだしたい気持ちになったので、指先をつまむような形にして、耳のなかから何らかを引っ張りだす動作を数回繰り返した。「もう終了」という気持ちになったのでそこで終了させた。翌日、妻の耳のなかにあった膨らみが破裂して膿が出た。膿が出たら痛みが無くなったとのこと。
二度目は夜中の吐き気。これもけっこう酷そうだったので、お腹付近を中心にヒーリングをした。いつも通りにヒーリングをするものの、妻の身体のなかにエネルギーが入っていく感覚は無かった。でも目の前で辛そうにしているので、そのまま10分ほど続け、寝息を確認すると同時に終了。深夜になり突然妻が起きてトイレへダッシュ。おう吐をしたことで、気持ち悪さからは解放された。
ヒーリングってこういうことなのよ。こういうことってどういうことだよとお思いかもしれないのでお伝えすると、スピリチュアル・ヒーリングってのは霊界にいる癒しの霊団と人間(僕)との共同作業でね、いつでもどこでも霊団から癒しのエネルギーが届けられるわけでは無いの。必要な人に必要なときにだけ届けられるのよ。なので妻の例で言うと、一度目のヒーリングでは必要だったからエネルギーが届けられたの。僕が「何かを引っ張りだしたい」と思えたのもそれによるもの。二度目は霊的なエネルギーが必要無かったから届けられなかったの。吐けば治る状況だったから届けれらなかったんだと思われる。お腹の上に手をかざしているときに「胃のなかの油だな」と思えた。つまりは胃のもたれによるものだとは思ったんだけど、僕は医者では無いからね。全ては霊団にお任せするわけ。で、その結果が「エネルギーは必要無い」ってことだったんだと思っている。必要であれば届けられるけど、必要でなければ届けられない。なので「やってみないとわからない」のがスピリチュアル・ヒーリングなんでしょうな。

ということで、安西ヒーリング、再開です。

ヤベー場所、再び

3月18日の日記で書いた「ヤベー場所」を再び訪れた。その日記に「様子見」と書いたように、少し時間を空けてから再訪することで、こちらの判断もしやすくなるだろうなと。そんな思い。
で、結果としては、最初に礼拝堂に入ったときに感じたおでこから頭頂部にかけてのアレは弱めになった。予想通りだった。ただ弱めとは言え二度目の訪問でも感じられるものがあったということは、やはりその場所には何らかはあるんだろうなとは思える。

今回の訪問で僕のなかでは8割がたの結論は出てしまったというか、前回と今回とで答え合わせができてしまったので、前回の日記ではあえて書かなかったこと、つまりは最初に礼拝堂に入ったときに感じたことを書いちゃうとだな、実は僕にはちょっと強いかなと思っていた。そのエネルギーが。感覚で言うと足元から上へ向かってエネルギーが登っていく感じなんだけど、ちょっと角(かど)があるのよね。固い感じがするというか、刃物に近いというか何というか、とにかくは人工的に作られたもののように感じられたの。で、家に帰ってネットで検索してみたら、そこの地下にはほにゃららが埋められていて…みたいな記述が散見されて、「やっぱりな」と。そりゃ人工的だと思えるよなと。地下に何らかが埋められているといえば、長野県は某所にある大本営のあの山にも無数のアレ(今回のものとは違うけど)が埋められているという噂だけども、あれとはまるで違う感覚でな。大本営の方は自然のものに感じられる。ただどちらも上へ向かうエネルギーが出ていることは確かだと思うので、合う人には合うんだろうね。

で、帰り道に知らないおじさんとお話をすることになって、せっかくの機会だからと思って、あの場所をどう感じたかを聞いてみた。するとそのおじさんは、最初に入ったときに肩だか首だかの痛みが無くなって、二回目にはやはり肩だか首だかの痛みが無くなって、三回目は背中だか腰だかの痛みが無くなって、四回目からは特に感じるものは無くなったとか。で、今は元気!みたいなことを言っていた。僕は自分ではいろいろとおかしなことを言うけれど、他人がおかしなことを言っていると「この人大丈夫かな?」と思ってしまう。なのでそのおじさんにも怪しさを感じつつもこの場所の先輩としていくつか聞きたいことをお伺いして、有益な情報を得て帰宅した。

ひとつだけ悔やまれたのは、持って行こうと思っていた方位磁石を忘れたこと。ああいう場所で方位磁石がどんな動きをするのかを確認したかったのよ。霊的(?)な現象の多くは、おそらくは科学的に解明できるものだろうと思ってるからね。

動機

もう何年前のことになるんだろう、勇気と覚悟をもって「僕、スピリチュアルヒーリングができるんですよ。」ということをカミングアウトすることで、僕のヒーリング人生(?)は始まった。それを機に「こいつキモいな」とのことで離れて行ってしまう友達もいるんだろうなと覚悟していたものの、フタを開けてみたら特に大きな変化は見られなかった。今でもこんな僕に優しく接してくれている。みんなありがとう。そこが第一の感謝。で、ヒーリングができるとは言ってもその時点での実績は皆無に等しく、最初からヘビーな人、つまりは生死にかかわるような人だったり心に病を抱えた人が来たらどうしようかと心配していたんだけど、最初の1か月は関節に不調を感じるひとたち、次の1か月は内臓に不調を感じるひとたち、半年後は心に悩みを抱えたひとたち、1年後は重度の病を抱えたひとたち…のように、うまいこと初心者向けのヒーリングにはじまり、それに慣れたころに次のステップに進むというように段階を経てヒーリングをおこなうことができた。世の中ってうまく出来てるんだなと思った。それがふたつめの感謝。ありがとう。
そもそも実績が無いのにどうしてヒーリングの道に進んだのかというと、誰でも最初は初心者だからということもあるけれど、「正しい信念を持ったうえでの行動は報われるはず」ということと 「人にはそれぞれ指導霊がついてくれている」ということを信じたうえでのものだった。ヒーリング終了後にあるクライアントさんから「綺麗な白龍ですね」と言われたことがあって、何のことやらと思いつつ僕の師に確認のメールを送ってみたところ、「安西さん、〇〇神社でヒーリング上達の祈願したでしょ。だから(ついてきてくれているん)だよ。」との返事が届いた。そのクライアントさんは日本におけるヒプノセラピーの第一人者と言われている方の一番弟子の方で、僕の後ろをチラ見しての一言だった。

生きて行くうえで大切にすべきことのひとつに「動機」があるという。大げさに例えるなら、この国において犯罪とされていることをしたとしても、霊界から見てその動機が正しいものであれば悪いことでは無いらしい。あくまでも「大げさ」ね。
僕がカミングアウトしたことで友達たちを失わなかったこと、段階を経てヒーリングをすることができたこと、そして〇〇神社からのバックアップをいただけたこと、それらの全てが感謝以外のなにものでも無いけれど、それも動機によるものなのかもしれないなと思っている。動機、それと覚悟かな。
ヒーリングは遠く無い未来に再開させたいと思っている。

なぜ霊能者によって意見が違うのか

タイトルの件、僕も常々思っていたことなんだけど、現時点で「これでしょ」と思えるものをまとめてみようかと。複数の角度から考えるべきことなので分かりやすくまとめられるかは分からんけれど、自分の頭のなかを整理する意味でも、とにかくやってみようかと。

複数の霊能者が集まって、同時に同じものを霊視した場合、意見がバラバラになることがある。同時にオーラを見ても「金」だという人もいれば「青」だという人もいる。ある場所を霊視しても「笑顔の女の子がいる」という人もいれば「血だらけの女の子がいる」という人もいる。この状況をテレビで放送すれば、それを見ている視聴者が「霊能者ってインチキなのかな」と思うのも理解できる。霊能力を持たない(という言い方も間違いなんだけど)一般の視聴者からすれば霊能力を持っている人間は何でも見えるんだろうから、誰が見ても同じように見えないとおかしいと思えるんだろうなと。僕も初めはそうだった。意見が一致しないのは、そのなかにインチキが紛れてるからだろうなと。でも自分で霊界通信を受信するようになってからは、その大変さが分かったというか、こりゃ仕方無いと思えるようになった部分もある。
僕は霊界通信の受信に関しては自己流でやってきた。誰に教わったでもなく、経験を積み重ねることでやってきた。説明をすると、クライアントさんの顔の周囲を見ていると、僕の額から前頭葉の辺りというか、目と鼻の間というか、そのあたりから何らかの情報が入ってくる。単語で入ってきたり、映像で入ってきたりする。それら入ってきたものを僕のなかで解釈をして、日本語に翻訳してクライアントさんに伝える。ざっというとこんな感じ。なので複数の霊能者で意見が異なってしまうのは、その「翻訳」の際に間違えてしまうというか、間違えてはいないけど、使う日本語を間違えてしまうというか分かりにくく言ってしまうというか、そのあたりに原因があるのかなと思っていた。たとえば自分のことを言う場合、「僕」でもいいし「オレ」でもいいし「わし」でも「おいら」でも「ミー」でも何でもいいんだけど、印象って違うでしょ。そのあたりの少々のズレが積み重なることにより、最終的には大きくなってしまうのかなと。それともうひとつ、霊界通信の相手にもよるのかなとも思っていた。霊界通信の相手は所謂「霊魂」であり、言い方を変えると「僕らより先に死んだ人」なわけ。そのお相手は高級霊であることが望ましいけれど、そうでは無い場合、結局のところは「元人間」なので、間違えることもあるのかなと。肉体を失った霊魂は嘘はつかないというけれど、間違えることはあるみたいだし。
というね、そのふたつのことが原因で、霊能者同士の意見が違ってくるのかなと思っていた。でもね、1年ちょい前あたりからはじめた英国スピリチュアル協会周りやら密教周りやらの勉強を進めていくうちに、その原因は他にもあることが見えてきた。それはね、霊能者自身。その時点で霊能者が持ち合わせているものによって、見え方やら感じ方やらが違ってくるのかもしれないなと思えた。霊能者が持ち合わせているものって何かと言うと、霊能力関連のことがらだけでは無く、それまでに経験した全てのこと。考え方もそうだし、嗜好もそうだし、とにかくその霊能者が持ち合わせている全てのものごとによって、そのあたりに違いが出てくるんだなと。例を挙げると、もう10年以上前の話だけど、皆で一緒にオーラを見る機会があった。そのときに僕に見えたのはバイオレットのオーラだった。水色が見えると言っている人もいたけれど、僕にはバイオレットのオーラしか見えなかった。クライアントさんのオーラでよく見えるのは金とバイオレット。たまに緑も見えるかな。それ以外の色はその時点の僕には見えなかった。でもオーラには金とバイオレットと緑しか無いわけじゃなく、その他の色ももちろん存在する。ではなぜ僕にはそれしか見えなかったのかと言えば、おそらくは僕のなかにその3色しかストックされていなかったから。だから僕が持ち合わせている金とバイオレットと緑しか見えなかったんだろうなと。

霊能力を発揮している状況とは、言うなれば霊魂と人間(霊能者)とが共同作業をおこなっている場とも言えると思う。霊魂側から送られてきたものを人間というフィルターを通してクライアントさんに示すことになるけれど、どんな霊魂がどんなフィルターを通すのかによって、そこからアウトプットされる情報には差が出てしまう。目の細かいフィルターなのか荒いものなのか、透明なのか色が付いたものなのか。とても根本的な部分だけど、結局はそこなんだろうなと、現時点の僕は思う。霊能者と言えど人間だから。肉体をまとった人間なので、それまでの生き方がそこ(肉体+霊魂)からのアウトプットに交じってしまうんだろうなと。「良い・悪い」では無く。なので霊能者から出てくるものはそれぞれだろうし、霊能者の言うことは「絶対」では無く参考意見程度にすべきと思うし、複数の霊能者を比較するというのもアリだと思う。自分と意見が合致する霊能者に出会えるまで探し続けるべしということでは無く、複数の霊能者の言うことを客観的にとらえ、採用すべきものは採用すればいいし、イマイチだと思うものは却下すればいい。そのあたりの判断は、ご自分の胸に聞いてみるしか無いだろうな。