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お盆にあがる旗

20年ほど前くらいまでだったかな。お盆になると体調が悪くなっていた。身体が重くなり、耳の中というか周りがモヤモヤした感じになる。薬を飲んでも治らない。なんでだろうと思っていると「あ、お盆だからか」と気づく。細かく書くとよろしく無いので書かないけれど、あの頃は「お盆って本当に帰ってきてるんだな」と思えていた。最近はそういうことは無くなったな。良いことだと思う。
そういえば何年か前に僕の「師」が仰ってたけど、お盆の時期、ご先祖さまが帰ってきている家の屋根を見ると、旗がたっていると。旗がたっている家にはご先祖さまが帰ってきていると。僕にはその旗は見えないけれど、なんか、分かりやすくていいなと思えた。どんな旗なんだろう。「帰宅なう」なんて書いてあればいいよね。

結界

先日、訪問先で「無事に来れてよかったですね」的なことを言われた。「?」と思ったが、聞くとその土地には結界がはられているらしく、そこを目指したとしても来れない人は来れないらしい。過去にその土地の入口で気分が悪くなり引き返した人が3名、最寄駅で気分が悪くなった人が1名いたとのこと。それだけ聞くと、実はその土地が持つエネルギーが悪いもので、気分が悪くなった方々が繊細だっただけじゃねぇの?とも思えるのだけれど、まぁヨシとしておいた。そもそもそういう話をしに行ったわけでも無いので。ただまぁ詳しく聞く限りはその場所はほにゃららな方が手を加えたほにゃららな土地のようで、気軽には扱えない内容に思えたので書かないけれど、こんな場所にこんな土地があるだなんてと驚きはした。分からないもんだね~。すごいね~。
いちおう説明しておくと、「結界」ってのは一般にはあまり馴染みが無いもので何か特別なもののように思われているかもしれないけれど、実はさほど特別なものでは無いのでござる。神社にも結界がはられているし(鳥居があるでしょ)、数日前に書いた「盛り塩」も、アレは塩を盛ることで結界をはっているということだからね。ただ僕が訪れた土地はもっと大規模にと言うか、かなり厳密にマジで結界をはった場所だということ。そのあたりの違いはあるけども。
数年前に訪れた高野山も凄くてね、いきなり空気が変わる場所があって、何度もその場所を往復して確かめたことがある。一歩前に出ると空気が重く、一歩後ろに下がるとフツーになるというね、それくらい明らかな「目に見えない壁」があった。意図的にはったものなのか、それともそうなってしまったものなのかは知らないけれど、すげーなーと思ったことを覚えている。
あとね、結界ってのはけっこう便利なもので、大事な取引があるときにはある方法で結界をはることもあるし、車で遠出をする際には車に結界をはって交通事故を予防したりもする。そのくらい身近なものなので、これからは「結界」では無く「おまじない」と呼ぶようにすればいいと思う。親しみやすくなる。

マッチング

自宅と事務所の回数を合わせると、今までに13~4回は引っ越しをしていると思う。その経験を元として、確証の無い話で恐縮だけれど、引っ越しと運気とは関連性があるものと思っている。
現在の自宅を選んだのは、目の前に僕の崇敬神社の分社があったから。それ以外はほぼほぼ縁もゆかりも無い土地に引っ越してきた。そこに引っ越しをしてから1週間後、かなりデカい仕事の話が唐突に舞い込んできた。引っ越しをする前は進めていたプロジェクト2件が先方の都合で頓挫してしまい弊社の貯蓄を食いつぶす勢いになってしまっていたけれど、現在の地に引っ越しをしてからはおかげさまで良い方向に進むことができている。僕からすると引っ越しをしてからかなり露骨に運気が上がったように思えたので、その後、同じマンション内の他の部屋へ引っ越しをした。より神社の正面に近い部屋、部屋の中から参道が見える場所へと引っ越したということ。
それからどうなったのかは書かないでおくけれど、土地もそうだし、人間もそうだし、大切なのはマッチングなのだろうと思える。僕が以前住んでいた土地が悪いわけでは無く僕との相性がよろしく無かっただけだろうと思っているし、仲違いをするような人間関係も、どちらが悪いというよりは、相性が悪かっただけだろうと思っている。

今朝、立禅をしていたときに感じられた「上へ上へと昇って行く感覚」は、週末に行われる盆踊りが関係しているのだと思う。良い土地と出会えたなと感謝している。

盛り塩

最寄駅と僕の事務所との中間付近に、入口に盛り塩をしている建物というか事務所がある。窓ガラスを通して見える室内には複数の机とパソコンがあるので、紙なのかWebなのかの制作会社だと思う。飲食店以外の業種で盛り塩をしているということは、邪気を払いたいとか清潔にしたいとかそういう目的なのだろうけど、肝心の部屋の中は大丈夫なのだろうかと心配になる。部屋の中を綺麗にせずに盛り塩をしてしまったら、中にある(いる)よろしくないものはそこから出られなくなるだろうから、逆効果だろうなと。と、盛り塩にさほど詳しく無い僕が言うのもアレだけど、なんつーか、あまり気軽に手を出すようなものでは無いんじゃないかなーと。部屋の浄化が目的であれば部屋を掃除して窓を開けて風通しを良くすればいいだけだと思う。マメな掃除に勝るもの無し。もし結界をはりたいのであれば知識のある方に依頼すべきと思うし、部屋のなかにある(いる)よろしくないものをどうにかしたいのであればそれもやはり知識のある方に依頼すべきだろう。付け焼刃ってのは怖いからね。でもどーーーーーしても塩(粗塩)を使いたいというのであれば、僕なら綺麗にしたい場所、例えば部屋を綺麗にしたいのであれば部屋の床に塩を撒いてからほうきではく。ほうきではいたら塩はゴミと一緒に速攻でどこか遠くに捨ててしまう。理屈で言えばコレだろうな。よからぬものはどこか遠くへ。グッバイフォーエバー。

シンボル

日記に書くことをかれこれ50分ほど考えているのだけれど、何も浮かばないのでおかしな話を書くことにする。最近書きすぎだよなー。今日は霊視の話。

ひとくちに「霊能者」と言ってもタイプは様々だけど、僕の場合は「見える」というよりは「分かる」タイプ。これが一番インチキくさいし自分でそう思っているんだけど、クライアントさんとお話をしていると、そこに誰かが来ればなんとなくそれが誰なのかは分かる。そして何を伝えたくてやってきたのかもだいたい分かる。「誰なのか」は雰囲気で分かる。暖かい感じだったり、女性的な空気を感じたり、そんなものが伝わってくる。「何を伝えたくて」という部分も雰囲気で伝わることもあるけれど、多くの場合は何らかのビジョンを見せられる。いや、実際には目では見えてはいないから厳密に言うと「何らかのインスピレーションを送りこまれることもある」が正しいかな。それはシンボリックなもので、一見すると「は?」と思えるものが頭に浮かぶ。例えば「凧」とか「海」とか「スプーン」とか。伝えたいことがあるのならもっと明確に伝えてほしいと思うものの、20代半ばの頃からずっと変わらずこんな感じ。シンボルしか見えない。ただそのシンボルが重要で、そのシンボルから連想しなければならないというか、そこから何かを感じ取ったうえでクライアントさんにお伝えすることになる。言うなれば「あの世の言葉をこの世の言葉に翻訳する作業」であって、そこが僕の霊視(スピリチュアルカウンセリング)においてのキモとなる。なんだかわからないときは「○○が見えているんですが、何か思い当たるフシはありますか?」とクライアントさんに聞いてしまう。それがヒントとなってクライアントさんが抱えている何らかが解消されれば良いと思うので。でもその「クライアントさんに聞く」という行為が気に入らない方もいるわけで、それをもって「インチキだ!」と言われることもあった。僕からすればインチキというよりは単なる能力不足なんだけどなーと思えるのだけれど、まぁ自分でもインチキくさいと思っている部分もあるので特に否定もせず。
ちなみに生まれて初めて見たビジョンは赤い眼鏡だった。赤くて針金のように細いフレームの眼鏡が、僕の後輩の顔の上に見えた。「目が悪いの?」と聞くと「私、コンタクトです。」と。「子供の頃は眼鏡かけてたの?」と聞くと「かけてました。」と。「それって赤くてすんごく細いフレームのやつ?針金みたいな。」と聞くと「なんで分かるんですか!」と言われた。その時は霊視を生業の一部としていなかったのでそれ以上は追求しなかったけれど、後になって、その彼女に対する「昔のあなたに戻ってほしい」というサインだったということが分かった。というか、のちのちそう解釈できる出来事が彼女の身におきた。
あとは知りたいことを紙に書いてもらい、それを両手で挟むといろいろと見えて(入って)来るから、そんな方法で進めていったりもしている。いや、していた。使える方法は何でも使うと。

という感じだけれど、まぁせっかく霊視してもらえるのなら、くっきりハッキリ見える方に見てもらった方がいいよな。分かりやすいもの。