見る側とつくる側

久しぶりに写真というか、アートに関する話をする。

僕がつくる作品は、ジャンル分けするのであればアート系に分類されるんだろうと思うけど、実際のところ、僕はアートに疎い。たとえば岡本太郎の作品は何のひっかかりも無くスッと心に入ってくるし好きだけど、他の大多数のものはよく分からない。友人のナカザワショーコ画伯の作品は好きだな。事務所にもデカい絵を飾らせていただいているくらい好き。音楽で言えば、母方の祖父がクラシックが好きだった。その中で育ったので、僕と、そしておそらくは姉もクラシックが好きだと思う。
岡本太郎もナカザワショーコもクラシックも、どれも感覚的なものであり、こういう理由で好きだとは言えない。でもなんだろう、アートという高尚な世界においては「なぜ好きなのか」を説明できなければならないような空気を感じてしまうところがね、「僕はアートに疎い」と思えるというか、どこか敬遠してしまうところなんだろうなと。おそらくはアートの歴史について学ぶとか、その知識を頭に入れたうえで作品を見ることで得られる気付きやら納得感というところにアートの楽しみってものがあるのかなとも思うんだけど、なんつーの?パッと見て「好き」と思えるところが好きというか、「そういう感覚って大事よね」と思えてしまうのが僕なので、それでいいと思っている。あえて左脳的な領域に踏み込むことも無いだろうと。
写真に関して言うと、僕は見る側でもありつくる側でもあるけれど、見る側としてはさきほどから述べているように「あー、これ好きだな」程度の気持ちで見ているくらいがちょうどいい。でもつくる側としては、自分がつくる作品については責任を持ちたいというか、「これ、僕です」と言えるほどのものでなければ展示の形で世に出したくは無いと思っている。なので「好き」と思えるだけでは展示したくは無く、それこそ「かれこれこういう理由で好きです」やら「こんなコンセプトのもとつくった作品です」なんて説明ができるのは最低限で、さらにそこに自分の全精力を注ぎ込んだような作品でなければ展示するに値しないと思っている。で無ければ「これ、僕です」にはならないし、そもそも見に来てくださる方々に対して申し訳無い。無駄な時間を使わせるだけになる。最近はその作業をしていないというか、それをすることに心が向かないので、展示するに至っていないということなのだ。

ということで、書き始めの頃には思ってもいなかった結びとなったけれど、ここまで書いちゃったからもうこれでいいや。本当に書きたかったことはまたそのうち書けばいいかなと。ってことで、ひとまず終わり。