ザック・セイバーJr.選手と新日本プロレス

ここ1年ほど、新日本プロレスのリングにザック・セイバーJr.という選手が上がっている。以前はプロレスリング・ノアのリングに上がっていたようだけれど、基本、ノアは見ないので、その存在を知ったのはつい最近のこと。
初めて彼のレスリングを見たときに「キャッチ(キャッチ・アズ・キャッチ・キャンの略。関節技や絞め技で相手を降参させる格闘技。イングランドが発祥と言われている。)だな。」と思った。他にも関節技を得意とするレスラーは数多くいるけれど、彼ほど関節技に拘って試合を組み立てるレスラーは珍しいと思う。そんな彼のプロレスを評価するファンは多いようだけど、正直なところ、僕は違和感しか感じなかった。
確かにいいレスラーだと思う。そこは間違い無い。あそこまでキャッチ(と言ってしまう。「ランカシャー」と言った方が適切かもしれないけれど。)を極めるのは並大抵のことでは無いだろうと思う。その部分においては何ら問題は無いと言うか、本当に素晴らしいレスラーだとは思うのだけれど、それを新日本のリングに上げてしまうこと、もっと言うとヒールレスラーとして上げてしまうことに違和感を感じている。それは、プロレスラーとは「(相手の技を)受けてナンボ」であり、それを体現しているのが新日本プロレスだと思っているから。キャッチとはプロレスと言うよりは格闘技色が強いものであり、「相手の技を受ける」ことには適していない。所謂「プロレス」の中にキャッチの技術を取り入れるのであれば何ら問題は無いけれど、キャッチが主体となってしまうとちょっと違うのかなと。
かつて、アントニオ猪木は「相手の力を9引き出して10の力で勝つ。」と言った。所謂「風車の理論」だ。相手を輝かせることの必要性を説いた。長州力は格闘技路線に舵を切りそうになっていたプロレス界(そのような試合)について「道場でやるもんであって、客に見せるもんじゃ無い。(正確な言い回しは失念)」と言った。武藤敬司は格闘技路線に向かっていた新日本と自分の持つ「プロレスLOVE」との間にギャップを感じて新日本を退団した。蝶野正洋は札幌のリングに猪木を呼び出し「オレはこのリングでプロレスがやりたいんですよ!」と叫んだ。
先日のオカダ・カズチカとザックとのIWGP戦の後なのかな?本間朋晃選手がザックのことを「ヴォルグ・ハン(リングス・ロシアに所属していた総合格闘家)のようだ。」のようなことをどこかに書いていたけれど、その言葉が全てだと思えた。新日本のリングと彼のプロレスとはマッチしているようには思えないんだよね。僕が今の新日本の方向性に付いていけて無いだけかもしれないけどさ。