波打ち際とヒーリング

波打ち際は、魂が行きかう場所だと思っている。
今から3~4年ほど前に、エプサイトさんで波打ち際で撮影をした写真をつかった作品を展示させていただいたことがあった。作品について質問をいただくことがあって、その際に前述のような説明をさせていただくと、なかには怒りだす人もいた。なぜ怒りだすのかと言えば、魂やらあの世やらそのあたりの話はどちらかと言えば「陰」であり、死を連想させるからかもしれない。僕は子供の頃から未知のものに触れる機会があったので、体験はもちろんのこと、本屋さんに行って自分で調べたり、「この人は」と思える方にご教授いただく機会にも恵まれた。それにより自分なりの死生観が確立されているので、死は怖いものだとは思わないし、あの世や魂も特別なものだったり未知のものとも思っていない。そもそものところ、なぜ人は海岸に集まるのか、山に登るのか、そのあたりのことを多角的に考察してみるといろいろと見えてくるものがあるんじゃないの?と思っている。

そういえば、舌癌での入院中、口内に溢れる粘液が突然止まったというようなことをいつかの日記に書いた。実はあれは自然に止まったのでは無くて、自分で止めた。粘液への対応が辛かったので、自分で自分に5分ほどヒーリングをしたら粘液が出なくなった。その後のことはその日の日記に書いた通り。

波打ち際のこともヒーリングのことも、僕にとっての真実なだけであって、それを皆に信じてもらいたいとか、仲間を増やしたいとか、誰かとこの経験を共有したいなんてことは思っていない。僕の身に起きたことを事実として捉えているだけであって、それ以上でも以下でも無い。

周り

先日、妻と共に新宿の地下街を歩いていた際、妻から「速い」と言われてハッとした。妻のペースに合わせてゆっくり歩いていたつもりだったから。新宿を行きかう人の流れはとても早くて、その波に合わせるように歩かねば世間様の邪魔になりかねない。そのことが頭の中にありつつも、歩みがゆっくりな妻に合わせて僕もゆっくり歩いていたつもりだった。
ペースを落として歩きながらハッとしたのは、もしかするとこれって「感応」なのかなということ。感応ってのは簡単に言うと憑依の軽い版のことで、知らず知らずのうちに外的要素からの影響を受けてしまうこと。ここで言う外的要素ってのは霊のことなので、新宿を早歩きしてしまったことを感応と言ってしまうのは違うかもしれないけれど、感覚的には同じなのかなと。無意識に近い状態で周りに合わせてしまったと。ここは僕の性格的なものもあって、普段から意識しているわけでは無いけれど、心の奥底では周りに迷惑をかけぬように気を付けながら生きている。歩く際には道の端を歩くし、電車のなかで席に座る際には姿勢を正し、足を引き、脚を閉じ、肘をなるべく内側に入れる。荷物は当然膝の上だ。ダウンコートを買おうにも、ダウンがたくさん入ったモコモコしたものでは無く、なるべく細身でかさばらないものを選ぶ。特に意識せずにそんなことをしているので、道を歩けば周りの流れに合わせようとするのは当然のこと。このことは社会においては大事なことだと思うので悪いことだとは思わないけれど、なんつーか、「度」ってものがあるのかなと思えて。日頃の言動から周りからは自己中心的な人間だと思われているかもしれないけれど、そのあたりは計算によるものが多い。自分で言うのもなんだけど、実はけっこう気を遣う性格でね。そのあたりをね、もっと開放すべきかなと思えた。「あなたは幼少期に壁を作った」と言われたことがあって、それを言われたときは何のことやらと思っていたけれど、ああ、もしかするとこのことを言われていたのかなとも思え。本当に壁を作ったかどうかは知らないけれど、作ったのであれば、齢46にして壊してもみるのも面白いかなと。

たとえば楽しいことをしたいなと思ったとき、周りの方々が楽しがっていることをやってみるのも悪くは無いけれど、自分が楽しいと思えることをやらないと、本当に楽しくは無いと思う。当たり前のことだろうけど、要は自分だからな。そのあたりのことで言えば、周りなんて見てないでいいんだと思う。自分を生きるのに、気なんて遣わなくてもいいもんな。

妻の視点

妻がニュースを見ながら「どうして逮捕される人はみんなグレーのトレーナーを着てるの?」と言った。警察が自宅に押しかけて犯人を逮捕することがあるけれど、自宅から出てくる犯人は皆一様にグレーのトレーナーを着ていると言うのだ。「それはね、朝の早い時間に押しかけて逮捕するからだよ。」と教えてあげたんだけど、妻のその疑問になるほどなと思った。逮捕される人がグレーのトレーナーを着ているということは、みんなグレーのトレーナーを着て寝ているってことだからな。悪い人たちが申しあわせてグレーのトレーナーを着ているわけが無いのだから、つまりは悪い人に限らず、世の男性の多くがグレーのトレーナーを着て寝ているということであり、これってマーケティングでもあるし、どこかで誰かの役に立つ情報なんじゃなかろうかと(少しだけ)思えた。
妻にはその視点を保持したまますくすくと育ってほしいと思う。どこかで何かを生み出すような気がする。

診察の結果とこれからのこと

昨日は人生二度目の舌癌の手術が終わってから初めての診察だった。年始ということで、いつもなら15分から30分ほど待てば呼ばれる診察も、中待合に入るまで1時間35分かかった。先生は「申し訳無いです」と仰っていたけれど、先生のせいでは無いし、特に何とも思わなかった。むしろ「ご苦労さまです」と言ったところだ。

癌には良性と悪性とがあって、それを見極めるためには時間がかかる。見極めている間にも癌は進行するので、最近ではそれを見極めること無く手術に踏み切るのが一般的だと思う。というか、僕の場合は二度ともそうだった。切除してから検査に出して、良性だったのか悪性だったのかが分かるのは手術の数週間後。昨日、その結果を伺った。結果としては予想通り悪性。さらに言うと、切除した舌は予想通りに浸潤は無かったので「深さ」については問題無いけれど、「横方向」については少し懸念があって、切除した部分のギリギリにまでザラザラな部分(と先生はよく口にする)があったので、もしかすると今回の手術で全ての癌を取り切れていない可能性もあると。なので今後も注視していきましょうとのことだった。
癌を取り切れていない可能性もあるということについて不安に思う人もいるだろうけど、僕の場合は特には何とも思わないというか、フツーなことだと思っている。切らないと分からないことはあるわけで、全ての検査を終えてから手術をするとなると、たとえばステージ1だったものがその間にステージ2や3になる可能性もあるわけで、ではどこを重視すべきかというと「すぐに切除すること」だと思える。また、手術の時点では舌のどこからどこまでを切除すべきかは分かりにくいのだから、そのあたりで予想と違う結果になることもあるだろう。素人考えとして、念のために大きく切るという方法もあるのだろうけれど、大きく切ることで患者に与えるマイナスもあるしな。一生喋りにくくなるとか、食べにくくなるとかさ、考えられるよね。であれば、なるべくでもそうならないようにしたいと思うのが通常だと思う。なので今回は結果として切除した部分のギリギリのところにもザラザラがあったってことであって、それはもう仕方の無いことだと思う。ザラザラがあったからといって必ず再発するわけでは無く、もしかすると全ての癌を取り切れている可能性だってあるのだから。むしろそっちの可能性の方が高いんじゃないかな。

ってことで、今後も通院して検査を受けて行くわけだけど、心配していてもしょうがないことなんだから、むしろ毎日を楽しく過ごしたいと思う。家族と、仲間と、思い出に残るような経験を重ねていきたい。

診察

今日はこれから病院。二度目の舌癌手術後初の診察。初の診察なので悪いところは見つからないと思う。
この時期に注意すべきはおそらくは転移だと思う。舌癌は首のリンパに転移しやすいから、首にしこりができていないかを日々チェックすることになる。他の癌のことは知らんけど、舌癌ってのは発症しないように注意できるようなものでは無く、早期発見に全力を注ぐくらいしか無い。早めに気づいて早めに切るしか無いんだろうなと。なので「気を付けてね」という有難いお言葉をいただいたとしても、未然に防ぐことができるようなものでは無いので、そういうところだけは真面目な僕からすると、何とも返事が難しい。でもそのお気持ちだけは受け取れるから「うん、ありがとう。」でいいんだろうな。お気持ちが有難いんだから、ありがとうだろう。

なんだか中途半端だけど、そろそろ出ないとイカンから、今日のところはこれくらいにしといてやる。